『今日のハチミツ、あしたの私』
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誠実さという魔法の杖 寺地はるな――『今日のハチミツ、あしたの私』刊行記念エッセイ
[レビュアー] 寺地はるな
蜂蜜は甘くておいしいけれども種類によってはくせがあって、お料理なんかに使う時にもけして万能とは言いがたい。それに、たいていガラスの瓶かプラスチックの容器に入っていて、使いおわりの頃になるとなかみを出すのに手こずる。けっこうめんどくさい食べものだな、と思う時もある。でも私は蜂蜜が好きだ。蜂蜜にはやっぱり、蜂蜜にしかないおいしさがある。
物語も、そうであってほしい。この物語にしかないおいしさがある、というものを読みたいし、書きたい。
子どもの頃、私はたくさんの童話を読んだが、お姫様が王子様に見初められるという結末を迎えるタイプのお話が好きではなかった。女の人の「幸せに暮らしました」のかたちが一種類しかないので、退屈だった。
子どもだったので当時は退屈さの理由を説明できなかったが、要するにそういうことだ。だから『オズの魔法使い』に出会った時、わくわくした。主人公のドロシーは王子様に見初められるのではなく仲間と出会い、共に冒険をし、魔女や魔法使いと互角にわたりあう。
『オズの魔法使い』の作者のライマン・フランク・ボームはドロシーについて、普通の人間の女の子である彼女が大冒険を成し得たのは彼女が親切で誠実な女の子だったからだ、その親切さこそが魔法の杖だったのだ、というようなことを書いていた。
ドロシーは魔法の国に行ったけれども、『今日のハチミツ、あしたの私』の主人公である碧はある事情から仕事を辞め、住み慣れた街を出て、「朝埜市」という田舎町に行く。現代の日本で、三十歳の独身女性が右も左もわからぬ土地で仕事も人間関係もすべて一から構築するというのは、なかなかの冒険だと思う。
碧は、ごく普通の女性だ。ものすごく性格が良い人というわけでもないし、特別何かに秀でているわけでもない。物語の途中で、関係がギクシャクしている親子のために手のこんだお弁当をつくる場面があるが、その親子のためを思っての行動というよりは、彼らに関わっている自分がこれ以上気まずい思いをしたくない、という気持ちに端を発しての行動で、基本的に最初から最後までずっと自分のために行動する。他人の「あなたのため」という言葉に疑問を持つようなところもある。あなたのため、は言うほうも言われるほうも苦しい。
碧はこの町で、大小さまざまなハプニングに遭遇しつつも彼女なりの誠実さで対応し、そうしてすこしずつ、自分の居場所と周囲からの信頼を獲得していく。その過程で、何度か選択を迫られることになる。碧の選択を「バカだな」と感じる人も、いるかもしれない。その選択で、幸せになれるの? と。
でも「幸せに暮らしました」には、ほんとうは何種類ものかたちがあるはずだ。自分だけのかたちが、誰にでもきっとある。世間の基準にあわせる必要はないのだ。
この物語を書いているあいだ、わたしはとても楽しかった。たぶん、碧や、その他の人物のことがとても好きだったからだろう。そして、これからこの物語を読む人にも彼らを好きになってもらえたらいいな、と願っている。