武蔵の剣が照らし出す希望の光

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敵の名は、宮本武蔵

『敵の名は、宮本武蔵』

著者
木下 昌輝 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041050804
発売日
2017/02/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

武蔵の剣が照らし出す希望の光

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 宮本武蔵といえば、剣の修行を通して精神を高めるプロセスを描き、日本人が知る武蔵像の原型を作った吉川英治の名作『宮本武蔵』を筆頭に、武蔵を剣の思想体系を作った技能者とした司馬遼太郎『宮本武蔵』、武蔵を決闘に勝つためなら手段を選ばない男とした柴田錬三郎『決闘者 宮本武蔵』、巌流島の決闘以降の武蔵の後半生を追う笹沢左保『宮本武蔵』など、錚々たる作家が手掛けてきた。

 宇喜多直家が梟雄になるまでを追った『宇喜多の捨て嫁』で舟橋聖一文学賞と高校生直木賞を受賞、直木賞の候補にもなる鮮烈なデビューを飾った木下昌輝の新作は、歴史時代小説の激戦区となっている武蔵に挑んでいる。

 これまでも著者は、従来とは異なる角度で歴史を切り取ってきたが、その持ち味は、決闘に敗れた武芸者たちの視点で武蔵をとらえた本書でも遺憾なく発揮されている。著者は、『沼田家記』『兵法大祖武州玄信公伝来』などの史料を使うことで、長く武蔵の宿敵とされてきた小次郎の姓を、有名な「佐々木」ではなく「津田」とする。また小次郎の愛刀が「物干し竿」と呼ばれた理由も、長いからではなく、まっすぐな直刀だったからとしているのだ。このように独自の解釈を加えながら、武蔵と武芸者たちが死闘を繰り広げる迫力の剣戟シーンが連続するダイナミックな物語が紡がれていくので、息つく暇がないほどである。特に、吉川の『宮本武蔵』の中でも人気が高い宍戸梅軒(本書ではシシド)が、クサリ鎌を考案した切っ掛けと、小次郎が武蔵と同じ二刀流を使っていたとの説には驚かされるだろう。

 著者は、武蔵に厳しく剣を教えた父の無二が、美作の戦国大名・後藤勝基に仕える新免家の微禄の侍だったとしている。新免家は下克上で力をつけた宇喜多家を新たな主君に選ぶが、裏切りをよしとせず後藤家に馳せ参じた一派もいた。後藤家の滅亡後、裏切り者十数人を血祭りに上げたのが、「美作の狂犬」と呼ばれる無二だったのである。

『宇喜多の捨て嫁』の表題作は、娘を嫁がせた家であっても平然と滅ぼす宇喜多直家が、後藤勝基に娘の於葉を嫁がせるところから始まるので、実は本書と関係が深い。その意味で、著者の興味が武蔵へ向かったのは必然だったのである。

 武蔵に最初に敗れた武芸者を描く「有馬喜兵衛の童討ち」、武蔵の決闘相手では小次郎と並ぶ知名度がある吉岡憲法が、武蔵と刀を交える前に絵で勝負をしていたとする「吉岡憲法の色」は、太平の世になり、武芸者が不要になった時代をどのように生きるかを問い掛けていた。人買いに売られるも買い手がつかず、同じ境遇の少女・千春に救われたシシドの成長を描く「クサリ鎌のシシド」は、乱世を生き延びるために鎌の腕を磨いたシシドの過酷な人生と、千春とのせつない恋物語が胸を打つ。「巌流の剣」では、無二が、主君である新免家の側室と密通し、子をなして逃走した本位田外記の一家を惨殺したため、外記の師の小次郎が、まず無二の子である武蔵を殺し、続いて無二を倒すため武蔵と決闘することになる。

 物語が進むと、複雑にからんだ因果の糸がまとまり、かつては「美作の忠犬」と称されていた無二が、「美作の狂犬」と恐れられる冷酷な武芸者になった秘密、武蔵と名だたる武芸者を戦わせる動機などが浮かび上がってくる。決闘に勝った武芸者は、相手の名と流派を受け継ぐというルールを使ったトリックも用意されているので、どんでん返しが連続する終盤の展開には圧倒されるはずだ。

 主君に忠誠心を利用され、情け容赦なく人を斬る殺人機械になっていく無二は、命令に逆らえないブラック企業の社員を思わせる。このほかにも、社会構造の変化で、積み重ねたキャリアが使えなくなった有馬喜兵衛や吉岡憲法、社会の最下層で生きてきたがゆえに、危険で不安定な仕事にしか就くことができないシシドなど、本書には、現代社会の闇を象徴するキャラクターが数多く登場するので、必ず共感できる人物が見つかるように思える。

 ひたすら武芸者を倒してきた武蔵は、凄惨な修羅道の先に、新たな生き方を見つける。このラストは、汚い世の中にも希望の光があることを教えてくれるのである。

KADOKAWA 本の旅人
2017年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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