『火車』
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宮部みゆき エッセイ「異常気象のわたし」
[レビュアー] 宮部みゆき(作家)
宮部みゆきさんの山本周五郎賞受賞記念エッセイです。選考会当日の、ご家族との大らかな会話、待ち会に遅刻してしまった心境、何よりタイトルにもある異常気象とはいったい……? ファン必読のエッセイです。
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『火車』が山本周五郎賞にノミネートされましたよ――というお知らせをいただき、いっしょに候補に残っている諸作品を教えてもらったとき、真っ先に頭にひらめいたのは「あ、こりゃ凄いメンバーだ、まずダメだな、わたしは」ということでした。
しかし、やはり心のどこかで、チャンスがあるとしたらどういうところだろう、などと思ってしまうのが凡人の悲しさ。そして、その段階で頭に浮かんだのが、
「もしも、選考の当日、天気がめちゃくちゃに悪かったら、わたしのほうに運が向いてくるかもしれない」ということでありました。これが、この受賞日記の妙なタイトルの由来であります。
デビュー以来これまで、わたしの身に何かいいことが起こるときは、たいてい、悪天候でした。最初にいただいたオール讀物推理小説新人賞のときも、朝からじとじとした雨。ニ年後の推理サスペンス大賞のときは、真夏の八月三十日、都心では記録的な暑さを記録した日であり、翌年二月のテレドラマの制作発表記者会見のときには、都内の交通網をすべてマヒさせてしまうような大雪が降ったのでした。さらに、吉川英治文学新人賞をいただいたときには、選考当日は春の暴風雨、しかもそのあと虹が出たりして、ニュースにまで取り上げられるという始末。そしてその授賞パーティの当日は、槍のような大雨――
ここまで重なると、もう、笑いながらも、「ただの偶然」で済ましてしまうわけにいかなくなります。ついには、わしが何かの賞にノミネートしてもらい、その選考当日がくると、家族や知人や諸先輩作家のかたにも、「天気が悪ければ、宮部みゆきにいいことがあるんじゃないか」と予想さるほどにまでなりました。まことに、わたくしは悪天候の申し子なのです。
さてそこで、山本周五郎賞選考当日の朝、であります。五月十三日、天気は――快晴。
「晴れちゃったわねえ」
その日の午前中、ぶらりと遊びにきた姉が、開口いちばんに吐いた台詞(せりふ)が、これです。姉妹の情なんてあったもんじねぇ、と思いつつ、ま、事実は事実だわな。
「そ、晴れたね」
「駄目だね、これは」
「直木賞のときも、天気よかったもんねえ」
「言えてる」
大らかというかしたたかというか、家族も慣れてきたものでして、こんなふうなことを言い交わしつつ、その日は、姉が結婚して以来久しぶりに、両親と姉とわたし四人で、外で昼ご飯を食べたりしたのです。そしてその帰り道でも、
「まだ晴れてるねえ」なんて言っていたりしたのです。
「夕立でもこないもんかね」などと言っている母などは、運命の神様にゲタを預けて、実にケロリとしているわけです。
「あんたってさあ、渇水警報が出てるところに旅行して、いきなり雨に降られたりするじゃない」
これは掛け値無しの事実でして、しかも、そういうことが一度や二度ではないのです。ある先輩作家に、「地球の緑を増やすために、あなたはぜひ砂漠に住むべきだ」と言われたこともあるんですから。
「今日も、あんたが出かけると、雨が降りだすかもよ」
「そういうのを、身内の希望的観測という」
「そうだね」
頭上には、一片の雲もなし。そのかわりといってはなんですが、五月中旬とは思えないような暑さで、道行く人はみシャツの袖をまくりあげ、額に汗を光らせているのです。そしてこのことが、ちょっとした伏線になるのですが……。
午後六時、待機場所である飯田橋の某喫茶店に到着。
五時半から待機の予定になっていたのですが、まったく降りだす気配のない雨に、「あ、こりゃ駄目」と見切りをつけていたわたしは、待機の時間をできるだけ短くしようなどという姑息な計算で、三十分遅刻をしてしまいました。そのために、いっしょに待機してくれる双葉社、新潮社、新人物往来社の担当編集者の皆様に、余計な心配をかけてしまって……この場を借りて、お詫びいたします。わたしは、小心者なのです……。
遅刻はするし、出がけに、一応化粧なんかしようとしたところ、たった一本しか持っていない口紅が見つからず、着く早々、小説推理の女性編集者Hさんに、「口紅ありますか?」とお借りする始末。いやはや情けない。そして、お借りした口紅でようやく格好がついたところで、席に落ち着いて、一言。
「のっけから不吉なことを申し上げるようでなんですが、わたし、天気がいいと駄目なんですよ」
これには皆さん、一瞬、複雑な笑いを浮かべるしかないという様子。そののち、まずは小説新潮の担当のEさんが、「今日は夜半から雨だそうですよ」と、発言。そうそう、天気予報でそう言ってましたね、などと、皆さんで励ましてくれたのでした。
それにしても、賞の選考を待っているあいだというのは、やはり、気詰まりなものです。皆さんで気を遣ってくださり、いろいろ面白い話などしているのですが、時問がたつにつれて、緊張が高まってきます。あえて時計を見ない。あえて、電話を気にしない。
古いモノクロの映画に『未知への飛行』というのがあります。米ソ間の偶発核戦争の恐怖を描いた傑作ですが、そのなかに、ヘンリー・フォンダ扮するところのアメリカ大統領が、ソ連の書記長からのホットラインによる連絡を待ちながら、傍らの通訳と会話する場面が何度か出てきます。純粋な手続き上のミスにより、核爆弾を搭載したアメリカの戦闘機が、モスクワ目指して飛行している、それをなんとか食い止めねばならぬという緊迫した状況下で電話を待っているのですから、俳優ふたりが並んで会話しているだけのシーンでありながら、観客の手のひらにはじんわりと汗が浮いてくるというところです。
賞にノミネートしていただき、その選考結果を編集者と待っている――という経験を味わうとき、わたしはいつも、この『未知への飛行』のこの場面を思い出します。わたしの場合は、どれほど大きな賞であれ、命がかかっているわけじゃないんだから大げさだ、とお叱りを受けてしまうかもしれないのですが、どうしても連想してしまうのです。
『未知への飛行』のなかで、大統領と通訳は、いわゆる無駄話をしながら電話を待っています。でも、そのときの口調や、かすかな目尻のしわ、くちびるの動きなどに、いいようのない緊張が、ちゃんと浮かんでいるのです。人類の命運を背中にせおって断崖絶壁に立つ人の恐怖が、きちんと見えるのです。わたしはこの映画が大好きで、ビデオに撮って何度も観ているのですが、観るたびにいつも、やはりヘンリー・フォンダは名優だと唸ってしまいます。核戦争の危機に直面した大統領の顔は、こういう顔だ! と。ひょっとすると、キューバ危機のときのJFKよりも、この場面でのヘンリー・フォンダのほうが、真に迫ってそれらしい顔をしてるんじゃないかとさえ思います。それでいてまた、恐ろしく冷静な顔でもある……
選考結果を待つ、という、幸せだけどやっぱりしんどい経験をさせていただくたびに、わたしは、あのヘンリー・フォンダの半分でも、冷静で毅然とした顔をしていたいものだ、と思うのです。思うのですが、実際には、そんなふうにはいかないです。これもまた、凡人の悲しさ。
さて、選考結果は、午後七時を少しまわったあたりで、入ってきました。朗報でした。朗報なのでした。嬉しい! のはもちろんですが、悪天候の申し子としては、(ありゃ?)と思わず空を見上げる――という気分でもありました。
「天気、いいのに……」
呟(つぶや)くわたしに、小説推理の編集長が、
「しかし、今日は五月とは思えないような暑さだったでしょう。つまりは異常気象です。宮部さんには、異常気象が幸運を運んでくるんですよ」と申されました。
なるほど。そう考えれば、辻褄(つじつま)があうかな。つまりわたしは、異常気象の子だったわけです。
記者会見場のホテルオークラヘ駆け付け、階段の踊り場でまたHさんに口紅を借り、ボーゼンという心持ちで記者会見。何をしゃべったのか、思い出すことができません。そのあと選考委員の諸先生にお目にかかり、祝杯をあげに銀座ヘ繰り出し――嬉しいしぼうっとするし緊張がとけてふにゃふにゃになるしで、相当ドジなことを言ったりしたり、恥をかいたのではないかと、今になって赤面、赤面であります。
その夜は、とうとう雨は降りませんでした。そして、いただいたお祝いの電話やFAXにも、「今日は天気がよかったから心配してた」とか「雨ふらなかったけど、結果がよくてよかったね」などのコメントが……。みなさん、同じことを考えていたのでした。ミヤベミユキは、どこまでシアワセな人なんだろう! と。ホントに、みなさんをびっくりさせてしまったのです。
そして、わたし自身も、いまだにびっくりし続けているのです。わたしはとんでもない果報者だ! と。
翌日の十四日は、一日雨でありました。その雨のなか、わたしは傘をさして、口紅を買いに出かけました。縁起をかついで、Hさんにお借りしたのと、同じような色を。