【文庫双六】お仕事小説は“時代”でこそ花盛り――北上次郎

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

【文庫双六】お仕事小説は“時代”でこそ花盛り――北上次郎

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

 玉川上水は江戸に水を引くために作られたが、江戸の隅々まで水が行き渡ったわけではない。そこで登場するのが水売りだ。江戸の町を水売りが歩く姿は当時の風物詩といっていい。

 その水売りを主人公にしたのが山本一力『道三堀のさくら』だ。作品としては直木賞受賞作の『あかね空』のほうがいいが(しかも舞台は豆腐屋なので水と無縁ではない)、水売りが中心になるわけではないので、ここでは『道三堀のさくら』にしておく。

 今はなき職業を描くことが時代小説では数多い。たとえば公事師(くじし)や公事宿(くじやど)を描く小説がある。江戸時代にも訴訟事があり、その面倒な手続きを代行するのが公事師だが、訴訟が取り上げられるまで数日かかることもあり、そうなると遠方から毎日通うのは大変なので、訴える人が泊まる宿も必要になって公事宿が生まれてくる。現代にない職業が、時代小説ではこのように頻繁に登場する。

 木戸番も、町木戸があった時代の職業の一つで、つまりは夜警だが、報酬が少ないので焼き芋や駄菓子を売っていた。木戸番が副業なのではなく、逆なのである。この木戸番を描いた傑作が、北原亞以子の「深川澪通(みおどお)り」シリーズだ。

 現代では失われた職業がこうして物語の中で蘇るのは愉しい。時代小説にはそういう職業小説の一面がある。そもそも山本一力のデビュー長編『損料屋喜八郎始末控え』がそういう職業小説だった。こちらは、夏の蚊帳、冬場の炬燵から鍋釜布団までを賃貸しする損料屋を主人公にしたもので(とはいってもそれは仮の姿で本職は別にある)、まさか鍋釜までレンタルする職業が江戸時代にあるとは思ってもいなかった。本書『道三堀のさくら』もそういう典型的な職業小説として読まれたい。

 昨今の現代エンターテインメントでは「お仕事小説」がブームと化しているが、時代小説の世界ではずっと、この手の小説が花盛りなのである。

新潮社 週刊新潮
2017年6月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加