激動の時代に翻弄された二人の青年の友情と別離。名優をゲストに迎えた歴史対談!――『西郷の首』伊東 潤×榎木孝明

対談・鼎談

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西郷の首

『西郷の首』

著者
伊東 潤 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041057193
発売日
2017/09/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【刊行記念対談】『西郷の首』伊東 潤×榎木孝明

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加賀藩出身の二人の若者がたどった対照的な人生を通して、武士の生きざま、死にざまを描いた意欲作『西郷の首』をめぐる対談。榎木さんは西郷隆盛を生んだ鹿児島の出身。古武術を研究し、時代劇復興に精力を傾ける。一方、意欲的に歴史・時代小説を発表している伊東さんは、『武士の碑』『走狗』に続く幕末維新三部作の完結編として『西郷の首』を構想したという。幕末維新について、時代小説について、時代劇についてお二人に存分に語っていただいた。

西郷隆盛を描く幕末維新三部作

――以前、お二人はテレビ番組(尾上松也の謎解き歴史ミステリー「桜田門外の変 日本を変えた暗殺事件の謎」BS11)で共演されたそうですね。

伊東 あの回は、私はビデオ出演だったので厳密には共演とは言えませんが、楽屋で挨拶させていただきました。そのとき、後日ゆっくりお話ししたいな、と思ったんですよ。

榎木 廊下で立ち話をさせていただきましたね。私のほうこそ、いつかちゃんとお話ししたいなと思っていたので、こんなに早く実現して嬉しいです。対談のお話をいただいたとき、ちょうど『武士の碑』と『走狗』を読ませていただいたばかりだったんですよ。

伊東 ありがとうございます。というのも『西郷の首』は、『武士の碑』と『走狗』に続く三部作だと思っているからなんです。いずれも幕末維新の物語ですが、私はこの三作で、幕末維新における西郷隆盛という人物の大きさや存在意義に挑みました。しかし、いずれも主人公は西郷ではありません。なぜなら、西郷という茫洋とした存在を西郷自身の視点で描くことは難しいからです。まず西郷に近い立場にいた側近中の側近・村田新八の視点から描いたのが『武士の碑』です。次に西郷に敵対した川路利良の視点から描いたのが『走狗』です。川路は西郷に大恩がありながら、大久保利通に付いたのちの初代大警視(現在の警視総監)です。そして満を持して今回の『西郷の首』では、さらに遠い立場、すなわち直接的には全くかかわりのない加賀藩の若者の視点から西郷を描きました。この三作品では、西郷を描かずに幕末維新における西郷の存在の大きさを描くという趣向です。この三作品によって、幕末維新とは何だったのか、西郷とは何だったのかという私なりの答を用意したつもりです。

榎木 半ばまで読んでもなぜ『西郷の首』という題名なのかな、と不思議だったんです(笑)。西郷の首が登場するくだりで、ああ、そうかと合点がいき、最後まで読んで、なるほど、と腑に落ちました。

伊東 主人公は、千田文次郎と島田一郎という加賀藩の足軽階級の若者です。二人は幼なじみで親友という設定ですが、一方が西南戦争で自害した西郷隆盛の首を見つけ、もう一方が大久保利通を暗殺しました。実は史実でも、この二人は竹馬の友だったと言われています。

榎木 そうだったんですか。驚きですね。伊東さんの小説を読むと、リサーチ力がすごいと感じます。とくに私は示現流などの古武術をやっていますから、あの迫力ある戦闘シーンはどうやって書いたのだろう、と不思議に思いました。もしかすると特殊なリサーチの仕方があるんじゃないかと思ったくらいです。

伊東 タイムスリップをしているわけじゃないですよ(笑)。

榎木 それに近いことをされているんじゃないかと思いましたね。まるで自分がその場にいるように読める。すごい臨場感だと思いました。

伊東 小説は人間の感情や内面を描くものですが、私の場合、それだけではなく、読者が場面ごとの映像をイメージしやすいように描くことを心がけています。読者がその場にいるような雰囲気作りですね。私は主に歴史を題材にしていますので、まず、その場にその人がいてもおかしくないか史実を調べ、さらに当時の考え方や価値観はもとより、服装や食べ物といった小道具にまでこだわります。そのため現地取材は欠かせません。戦国物ですが、『武田家滅亡』や『天地雷動』では、描いたシーンのほとんどの場所に行っています。こうした前提を踏まえ、シーンごとに何が見えて、何が匂い、何が聞こえるかといった五感を重層的に描いていきます。こうしたことの積み重ねによって、臨場感あふれるシーンが生み出されるわけです。
 僕は、これからのエンタメ小説は、ヴァーチャル・リアリティや、USJのような体験型アトラクションがライバルだと思っています。そういうものに勝てる力が文字にはあります。

『西郷の首』の新しい切り口

――薩摩人である榎木さんにとって、西郷さんはどんな存在なのでしょうか。

榎木 私たちにとっては別格すぎる存在ですね。先ほど伊東さんが西郷自身の視点で描くのは難しいとおっしゃっていたことに同感です。私が西郷と西南戦争をともに戦った中村半次郎(桐野利秋)を演じ、企画した映画『半次郎』でも、西郷の実像を出さずに影だけで表現しようかという話があったくらいです。声だけにしようとか。

伊東 わかります。普通の人と同じには描けませんね。

榎木 突飛に聞こえるかもしれませんが、私のなかでは、西郷さんは地球に生まれた宇宙人のような存在ですね。ある使命を帯びてこの星にやってきて、果たしたらさっと帰っていった。そんなイメージです。

伊東 信長と利休と西郷は、それぞれの視点で書けない大きさや深さがあります。その人物の視点で書こうとすると、どうしても矮小化されてしまう。内心などを吐露させると、人物像が前に出すぎて、書いている方が「なんか違うよな」って思ってしまう(笑)。
 ところで、『武士の碑』を書いたきっかけは、実は榎木さんが主演した映画『半次郎』を見たからなんです。ラスト近くに村田新八がアコーディオンを弾いているシーンがありますよね。それを見て若い兵士が「あの人を見よ。三年もフランスにおって、まだ夢を見ちょう」と言うセリフがあるじゃないですか。村田が見ていたその夢を描いてみよう──それが最初のきっかけなんです。『半次郎』はDVDで四回か五回見ていますが、本当に魂のこもった作品ですね。一人ひとりの役者さんが、それぞれの役になりきっている。その熱気に圧倒されます。本当にすばらしい映画だと思います。

榎木 『半次郎』は半次郎隊と名付けた若い俳優たちに苦労してもらったんです。クランクインの八ヶ月前から、月に一度、彼ら二十数名を鹿児島に連れ帰って、 三泊四日くらいずつ野太刀自顕流のご宗家のところで修行したんですよ。映画のあちこちのシーンで、彼らに武士を演じてもらっています。戦闘シーンのレベルを上げるうえで貢献してもらいました。

伊東 榎木さんが「日本人の誰もが持つ本来の精神性に目覚めて世界に貢献しましょう」と提唱されている「時代劇再生運動」も興味深い活動ですね。

榎木 ありがとうございます。「時代劇再生運動」を進めるために「一期一会プロジェクト」という時代劇映画の製作プロジェクトも始めています。第一弾は『地上の星 二宮金次郎伝』です。『半次郎』の五十嵐匠監督が何年も前から取り組んでいた企画で、私は製作協力と、大久保忠真という小田原藩主の役を演じます。

新政府に人材を
送れなかった加賀藩

――『西郷の首』の主人公二人の出身藩である加賀藩が幕末維新でどのように揺れ動いたかについてもじっくりと書いていらっしゃいますね。

伊東 ご存じのように、明治政府で大臣など顕官の地位を占めたのは薩長土肥四藩の出身者でした。一方、加賀藩は江戸時代を通じて百万石の大藩なので藩士の数も多く、『武士の家計簿』を読めばわかるように、御算用方をはじめとして優秀な人材も多くいました。しかも早くから薩長方に与して戊辰戦争も戦っています。ところが、明治政府で頭角を現した加賀藩出身者はほとんどいません。それにより明治に入ってから加賀藩士族は不遇となり、不平不満が蓄積されます。そのはけ口の一つとして大久保利通暗殺事件があったわけです。これまで書かれた幕末維新物の大半は、勝ち組の薩長土肥側から描いたものですが、今回は加賀藩のような事実上の負け組の視点から幕末維新を描いてみたかったんです。

榎木 『西郷の首』を読むと、加賀藩の出身者が明治政府で活躍できなかったのは、藩を牛耳っていた人々が尊王の志士たちを早い時期に処刑してしまったからのようですね。

伊東 その通りです。禁門の変で幕府有利と見た藩の佐幕派家老たちが、尊王攘夷派を粛清してしまった結果、薩長土肥の尊攘派とのパイプがなくなるわけです。しかも維新後も従来の家老たちが権力を握ったままだったので、新政府との交渉が円滑にいかないわけです。

榎木 『西郷の首』を映像化するなら、本多政均を演じてみたいと思ったんですよ。加賀藩の家老で志士たちを粛清した憎まれ役ですけど、ちょっとふくらましていただくだけですごく面白い役になりそうな気がするんです。

伊東 そうかもしれませんね。本多家は徳川から派遣された家老の家柄で、加賀藩の草創期から藩政を取り仕切ってきた名門なんです。つまり本多政均は、自分が加賀藩を牛耳ることを当然と思ってきた男です。そういう人が、幕末に主導権を握っていたことが加賀藩の悲劇なんです。体制の転換が図れなかったことが、藩士たちの将来をも左右してしまうわけです。

榎木 歴史は確定したもののように思われがちですが、大抵のものは勝者が書き残した記録が元になっていますから、敗者の側から見た違う歴史もあるはずですよね。切り口を変えればこれからも新しい時代劇が生まれると思います。『西郷の首』にも、これまでの幕末維新の物語にはない切り口があると感じました。

伊東 そう言っていただけると嬉しいですね。『西郷の首』は武士の時代の終わりを描いた作品です。政府軍に参加し西郷の首を見つけてしまった男の葛藤と、その男とは別の道を選び、最後まで武士として生きようとした男。二人を通して、明治維新とは何だったのか、西郷とは何者だったのかを考えていただければ、作者としてこの上ない喜びです。

伊東 潤(いとう・じゅん)
1960年横浜市生まれ。早稲田大学卒業。外資系企業を経て作家に。『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞と第1回高校生直木賞、『峠越え』で第20回中山義秀文学賞、『黒南風の海 加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞、『義烈千秋 天狗党西へ』で歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。その他の著書に『武田家滅亡』『山河果てるとも』『天地雷動』『城をひとつ』『悪左府の女』など多数。

榎木孝明(えのき・たかあき)
鹿児島県出身。武蔵野美術大学デザイン科に学んだのち、劇団四季に入団。1981年、『オンディーヌ』で初主演。83年に劇団四季を退団し、84年、NHK朝の連続テレビ小説『ロマンス』主演でテレビデビュー。俳優として、映画・テレビ・舞台で活躍。旅を好み、アジア各地を中心に世界の風景を描き続ける。毎年、全国各地で個展を開催。古武術に通じ、時代劇を愛することから、時代劇再生を呼びかける「一期一会プロジェクト」を展開中。

構成・文|タカザワケンジ  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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