『ボロ家の春秋』
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「同居」の難しさをユーモラスに描く
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
【前回の文庫双六】個性豊かな才能「早稲田文士」の雄――野崎歓
https://www.bookbang.jp/review/article/543223
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高野秀行『ワセダ三畳青春記』を読むと都会での狭いアパート暮しがいかに大変かが分かる。住宅難の時代には同居暮しもあった。
他人どうしが住むのだから当然、問題が起る。永井荷風は長年、住み慣れた東京麻布の自宅(偏奇館)を昭和二十年三月十日の大空襲で焼かれてからは家に困り、各所を転々とした。
戦後、千葉県の市川市に移り住み、若きフランス文学者、小西茂也の家に部屋を借りることになった。
ところが変わり者の先生を迎えたため小西家は大変な迷惑を蒙ることになる。
小西夫人が気を利かせて部屋掃除をすると、疑って掃除中に夫人の前で金勘定を始める。部屋の中に七輪を持ち込み火を熾(おこ)す。五歳の娘が火事かと心配して覗くと「ハイ、ハイ、火事ですよ」と平然としている。
小西茂也は「同居人荷風」のなかで困り果てて書いている。ついに荷風先生にお引き取り願った。
同居の難しさをユーモラスに書いた小説といえば梅崎春生(うめざきはるお)の『ボロ家の春秋』が随一だろう。『新潮』昭和二十九年八月号に掲載され、翌年直木賞を受賞した。
「僕」は貧乏画家。ひょんなことから東京郊外の一軒家に部屋を借りることになる。築三十年のボロ家。雨は漏るし、風は入る。おまけに誰が家主なのか分らない。家を紹介してくれた夫婦は、ある日、突然、夜逃げしてしまう。
かわりにやって来たのは野呂旅人という男。中学の国語教師をしている。「僕」と同じで独り者。
ボロ家での同居暮しが始まるのだが、この同居人が極端な締り屋。
家賃の分担に当っては、自分の部屋は西にあるからと値切る。食費を節約しようと庭で野菜を作り始める。ある時、「僕」が味噌汁の実にツマミ菜をひと掴み分けて欲しいと頼むと、きちんと代金を要求する。
困った同居人だが「僕」にはどうしようもない。その困惑ぶりが笑わせる。作家、野呂邦暢(くにのぶ)の野呂はこの同居人から取られている。