【『遺訓』刊行記念・いま蘇る西郷隆盛】「遺訓」は今も生きている

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遺訓

『遺訓』

著者
佐藤 賢一 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104280032
発売日
2017/12/22
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

【『遺訓』刊行記念・いま蘇る西郷隆盛】「遺訓」は今も生きている

[レビュアー] 島津義秀(薩摩琵琶弾奏者・精矛神社宮司・加治木島津家第十三代)

 鹿児島は今、二〇一八年への期待に沸いている。言うまでもなく、「明治維新百五十年」とNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」である。県内でのロケは順調に進み、十一月のおはら祭では、西郷隆盛役の鈴木亮平氏ら主要キャストが参加する姿も報じられた。私が宮司を務める精矛(くわしほこ)神社でも撮影が行われ、舞台裏を垣間見ることができた。実際のドラマでどのような形で登場するのか楽しみである。

 書店では特設コーナーが設けられ、西郷関連本がずらりと並ぶ。新潮文庫の海音寺潮五郎作品『西郷と大久保』『江戸開城』のカバーが大胆に変わったのには驚いたが、装画が鹿児島県出身の井上雄彦氏ということで合点がいった。そして本誌で連載していた佐藤賢一氏の『遺訓』も、いよいよ単行本として発売されるという。鹿児島でも意外に知られていない薩摩藩と庄内藩の関係や、西郷の死後に庄内鶴岡で「南洲翁遺訓」がまとめられた経緯に光が当てられており、私も教えられるところが多かった。西郷が晩年を過ごした武(たけ)屋敷跡には、庄内藩中老菅実秀と西郷が対面する姿を表した「徳の交わり」という銅像があるが、実はこれとまったく同じ銅像が山形県酒田市の南洲神社にもある。『遺訓』を読んだうえで、ぜひ両地を訪ねてほしいと願っている。

「南洲翁遺訓」は決して歴史の中に置かれた「遺物」ではない。生きた言葉として、今なお人々を動かし続けている――。それを強く意識させられた出来事があった。

 記憶がやや曖昧であるが、確か一九九八年の師走であったと思う。私は当時、島津家本家が管理運営する仙巌園の広報企画担当をしていた。仙巌園は桜島や錦江湾を庭園の景観に取り込んだ島津家の別邸で、島津斉彬公がこよなく愛したことでも知られる。その仙巌園の奥にある茶室「秀成荘」で、近く四元義隆氏が茶会を開くので、薩摩琵琶を持って出席するようにとの連絡が入ったのである。以前、新潮新書として上梓した『薩摩の秘剣』にも書いたが、私は薩摩琵琶の師匠を通じて二十代の頃から四元氏と接点があり、四元氏が帰鹿された際に呼ばれて何度か琵琶を弾いたことがあった。

 四元氏は学生時代に井上日召に感化され、「血盟団事件」に連座した人物である。恩赦で出所後は近衛文麿総理の私設秘書となり、後には吉田茂の陰の参謀として終戦時に鈴木貫太郎を推薦した。以来、田中角栄を除く小渕内閣まで全ての総理の陰の指南役とされてきた。細川護熙氏に若い頃から期待をかけ、一九九三年の連立政権発足に際して強く後押ししたことでも知られる。武村正義氏を内閣官房長官に推したのも四元氏であり、細川政権瓦解後の自社さ連立による村山富市政権発足にも一役買ったと聞く。

 さて、薩摩琵琶を手に私が秀成荘に出向くと、そこにはまさしく村山元総理と武村氏の姿があった。このほか島津家本家関係者や、西郷隆盛の曾孫(愛加那との子・菊次郎の孫)隆文氏も同席。やがて「義秀君、何か(ないか)琵琶歌を……」とこちらに声がかかる。四元氏は西郷家とも血縁関係があり、ことに南洲翁を敬愛されていたこともあり、西郷の最期を描いた名作「城山」は滅多に所望されることはない。この日は「迷悟もどき」を弾じた。島津日新公(忠良。島津家中興の祖で、戦国期の義久・義弘ら兄弟の祖父。後の郷中教育の精神的支柱となった「いろは歌」を作った)が青少年たちに吟弾させ、その教えを覚えさせようとした歌である。四元氏は琵琶を聴く際には結跏趺坐(けっかふざ)を組み、頭を垂れて聴き入る。そして弾奏が終わると、「うーん」と唸って暫く沈黙の後、日新公いろは歌の教えがいかに南洲翁の心に刻まれ、リーダーとしての資質を育んでいったかを訥々とではあるが熱く語る。

 この日は、四元氏が「南洲翁遺訓」の一節、「万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正くし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し……」を切り出し、政治家の心得を説いた。これに武村氏が「私も『西郷南洲遺訓』は志を抱いた時から今日に至るまで常に携帯して読んでいます」と応じる。すると村山氏が柔和な笑顔で、「私も若い時から何冊読み潰したかな。これで十冊目くらいかな」と、背広の内ポケットから表紙がボロボロになった岩波文庫の『西郷南洲遺訓』を取り出したのである。「佐藤(栄作)さんは十三冊読み潰したと言っていた」と村山氏が明かすと、武村氏も「佐藤さんは若い政治家にどんどん遺訓を配っていましたからね」と返す――。

 西郷南洲の「遺訓」が、主義主張や政治的立場を超え、今なお志ある政治家の懐に常に携行され続けていることを目の当たりにし、深く感じ入った瞬間であった。

新潮社 波
2018年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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