暗闇の優しさと、夜というものの豊かさと。寂しさに寄り添う長編小説――『おやすみ、東京』吉田篤弘

レビュー

8
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おやすみ、東京

『おやすみ、東京』

著者
吉田篤弘 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413251
発売日
2018/06/13
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

暗闇の優しさと、夜というものの豊かさと。寂しさに寄り添う長編小説

[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)

〈時計を見ると、午前一時である〉〈時刻はすでに午前一時にならんとしている〉〈すでに午前一時だった〉―全十二話の物語はすべて、そんなふうに午前一時を告げる一行から始まる。吉田篤弘の新作小説『おやすみ、東京』は、深夜の東京で起きるいくつものドラマが、少しずつ絡み合っていく長編小説だ。

 映画会社に勤務するミツキは、撮影に必要な小道具を調達するのが仕事。広大な小道具倉庫にはさまざまな品が保管されているが、たまには無茶な要望だってある。たとえばその日は深夜になって、明日の午前九時までに果物のびわを用意してほしい、と助監督に言われてしまう。こんな時間に開いているスーパーは? その店にびわはあるのか? 困り果てた時に彼女が頼りにするのは、タクシー会社〈ブラックバード〉の運転手、松井だ。五十代、独身の松井は夜間専門のドライバー。ミツキを乗せ、びわを求めて車を走らせるが、目的の果物は意外なところで見つかる―というのが第一話の「びわ泥棒」。第二話の「午前四時の迷子」では、軽めのお悩み相談から深刻な問題まで受け付ける電話相談室〈東京0?3相談室〉のオペレーター、冬木可奈子が主人公。深夜勤務の彼女は、午前四時に古い留守電専用機の回収業者が来るからと、その引き渡しを頼まれる。現れたのは喪服を着たモリイズミという女性。実家の葬儀屋を手伝いつつ回収業を営んでいるのだそうだ。第三話「十八の鍵」では、また別の深夜、松井が一人の男性客を乗せて新宿の映画館に向かう。シュロというその青年は、仕事が休みだったため、昼間は一日自分が過去に住んだ都内の物件を見て回ってきたという。そんな彼が深夜に映画を観に行くのには、ある理由がある。

 他にも、深夜も営業している食堂を営む四人の女性や、映画撮影のために共同生活を送る女性たち、映画会社の倉庫番や古道具屋の店主といった人々が現れる。誰かと誰かがどこかで出会ったり、誰かと誰かが実は知り合いだったり、この人もあの人も実は松井の顧客だったり。登場人物たちはみな、緩やかに?がっていて、長編の群像劇ならではの妙が存分に楽しめる。みな午前一時以降も起きている点が共通しているが、仲間とワイワイ飲み明かすといった人間は一人もおらず、たいてい働いているか、何か切実な理由があって夜の街をさまよっている。みんな、ちょっぴり孤独だ。

 小道具を探しまわるミツキは恋人との関係を一歩前進させるかどうかの答えを出せず、可奈子はある日姿を消した弟を案じている。父の面影を求めているシュロ、かつての常連客を思う食堂のアヤノなど、みな誰かを、あるいは何かを探している、もしくは待っている状態なのだ。実は、ドライバーの松井だって、過去を引きずっている様子。でも、誰もがそうした心の欠落を埋めるために何をすればよいか、あるいは欠落を埋めたら何がどう変わるのか、分かっているわけじゃない。その不安や寂しさを隠すのが、暗闇なのだ。そこには、夜というものの豊かさと、自由さと、そして優しさがある。

 カラス、古い電話機、謎のピーナッツ・クラッシャー、極上のコークハイ、月光増幅器、古い映画……。なんでもない動物や品物も、確かな存在感を持ち、何か慈しみの対象に感じさせる世界観がこの著者の魅力。たとえば人の容姿や場所の情景について説明しすぎず、それでも読者それぞれの脳裏に確かな映像を立ち上がらせるのは、簡潔な文章の中に的確にアイテムを配置していくバランスの良さがあるからだろう。ちなみに松井がタクシー運転手になったきっかけが、幼い頃読んだ『車のいろは空のいろ』というあまんきみこ原作の児童書で、私も大好きだったので書名を見た瞬間ときめいた。こうした実在の作品をさらりと溶け込ませているのも上手くて心憎い。また、いつもながら、ご本人が手掛ける装丁も素晴らしく、漆黒の夜、月と星の光、闇に溶け込むカラス、灯の消えた窓を彷彿させる四角い窓など、それだけで夜の世界へ読み手を誘う作りになっていて美しい。やはりこれは紙の本で手にとって読みたいと思わせる。

 タイトルの「おやすみ」にこめられた意味を思う。多くの人が「おやすみ」と言って寝てしまった後で、都会のあちこちでこんなドラマが起きている、という意味合いともとれるし、読み終えてみると、夜の間さまざまな冒険を試みた人たちが、朝日の中でようやくひと息つける、という安心感を持ってつぶやいているようにも読める。きっと東京という街は、昼夜問わず、常に「おはよう」とも「おやすみ」とも、声をかけられているのだろう。それぞれの時間で、それぞれの人生を生きる人たちを、優しく包み込むこの街が、裏の主人公でもある一冊である。

角川春樹事務所 ランティエ
2018年7月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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