線量計と奥の細道 ドリアン助川著
[レビュアー] 岡本啓(詩人)
◆自転車で行く生身の日本
東日本大震災の一年半後、五十歳の作家が、俳人・松尾芭蕉(ばしょう)の歩いた「奥の細道」を放射線量計を携えて旅する。線量計がはじめて緊迫する数値を表示したとき「昨日までの旅とは、なにかが根本的に変わってきた」と著者に迷いがうまれはじめる。折りたたみ自転車をとめて、人ごみのなかで線量計を取り出すときの躊躇(ちゅうちょ)は、はたして自分が汚染を暴くことが正しいことなのかという問いによるものだ。風評被害を被りながらも、いまもその土地で暮らし続ける人々の顔が頭にうかぶ。被曝(ひばく)に目をつむってしまえば、精神はその場限りは落ち着くだろう。けれども著者は筆をとり、未来へ忘れないために本著をまとめることを選んだ。
原発にたいする憤りのなかでも著者はけっしてユーモアを手放さない。文中の言葉には、まるで友人のような親しみが溢(あふ)れている。それは著者が、特別な人間ではなく、私たちと同じような、どこにでもいそうな人と思われることを恐(こわ)がらないからだ。放射線の不安が残る地で教員として働く佐藤さんは、家族が離れて暮らすことになるよりはいいと話す。ただ直後には、ぽつりと一言「わからないな」ともれる。出会うひとに裸のこころで話しかける著者でなければ、こうした本心からの迷いを拾いあげることができなかっただろう。
芭蕉の時代からつらぬかれる時間軸が、現代をより立体的に見せていく。現代語に訳そうと手にとった「奥の細道」から「お前は旅人ではなかったのか?」と問いかけられた作家は、旅を終えて「私は旅人であり、作家であり、朗読者であり、歌い手である。」とふたたび自分自身を発見する。この力強い宣言は、ためらいつつも知ることを選びとるすべての人を勇気づけるはずだ。
自然の力にむきだしの自転車の漕(こ)ぎすすむのは、観光の宣伝広告用に美化された風景ではない。着飾らない生身の日本のすがたがこの一冊にはあらわれている。本を閉じても、強風にさからいながら海岸線をひた走る一台の自転車がうかぶようだ。
(幻戯書房・2376円)
1962年生まれ。作家、朗読家。小説『あん』は海外でも出版され、文学賞も受賞。
◆もう1冊
ドリアン助川著『あん』(ポプラ文庫)。樹木希林主演で映画化された。