理解されない苦しさ、を理解するために 『吃音 伝えられないもどかしさ』

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吃音

『吃音』

著者
近藤 雄生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103522614
発売日
2019/01/31
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

理解されない苦しさ、を理解するために

[レビュアー] 重松清(作家)

 言葉がつっかえる、いわゆる「どもる」吃音の人は、詰まり方や軽重の度合いはさまざまでも、日本中におよそ百万人いるとされる――僕も、その一人である。

 決して症例が少ないわけではないのに、吃音が起きるメカニズムは不明。治療法も確立されていない。なにより〈本人にとっては深刻でも、他人からは問題がわかりにくい場合がある〉。苦手な言葉でも場面や体調などによってうまく話せるときがあるから、ややこしい。さらに〈うまく話せなくなりそうな場面で沈黙すれば、他の人から見たらそもそも何が問題なのかほとんどわからないということにもなりうる〉……。

 著者の近藤雄生さん自身、本書の中でも詳細に記しているとおり、かつて吃音に苦しんできた。ところが二十代も残り半年になった頃、二〇〇五年の終わりに突然症状が軽減して、〈吃音は、私の中からその姿を消していった〉。そうなのだ。そういうことがあるのだ、吃音には。僕も一番症状がひどかった十代後半の頃に比べると、五十代後半のいまはずいぶん楽に話せるようになった。しかし、近藤さんはこうも言う。〈もしかすると、何かをきっかけにすべてが元に戻ってしまう可能性もあるだろう〉。自分を引き合いに出しすぎて申し訳ないが、僕も体調の悪いときや、その場に嫌いな奴がいるところでは、ひどいことになってしまう。

 なんともやっかいな吃音に、近藤さんはじっくりと腰を据えて向き合った。取材に約五年、本書の出発点でもある吃音矯正所についての短編ルポルタージュに取り組んだのは二〇〇二年というから、じつに十七年もの歳月の元手がかかっている。掛け値なしの労作なのだ。

 その取材で、近藤さんはほんとうに多くの人に会っている。吃音に悩み苦しむ当事者はもとより、家族や周囲の人たち、研究者や医療関係者、吃音はコントロールできるはずだと語る言語聴覚士、吃音を受け容れようという自助グループ、かつて吃音を苦に自殺を図った男性、苦しみを誰にも語らずに/語れずに命を絶ってしまった青年の遺族……。

 重い取材である。つらい旅でもあっただろう。吃音を持つ人の就労支援をおこなうNPO法人を起ち上げた男性は、吃音を理由に職場を去らざるを得なかった彼自身の過去を語りながら、「なんで涙が出てくるんだろう」と照れ笑いを浮かべる。僕も泣いた。彼の涙よりも、むしろ照れ笑いのほうに胸を衝かれた。彼の話だけではない。頁をめくるごとに、つらかった記憶や悔しかった記憶、言葉がうまく出ないもどかしさに地団駄を踏んだ記憶がよみがえって、何度も泣いた。いい歳をして子どものように――子どもの頃の自分のために、涙をぽろぽろ流した。

 だからこそ、うれしかった。にこにこ笑ううれしさではなく、万感の思いを込めて、無言で、近藤さんに最敬礼したくなった。吃音のある人も、周囲の人も、一色に塗りつぶせるものではない。十人十色。誰もに〈その人だけの物語〉がある。しかし、その物語を語るには、彼や彼女の言葉は詰まりすぎる。〈吃音は、言葉だけでなく、その人自身の姿もまた、内に閉じ込めてしまう〉――それをゆっくりと、丁寧に、寄り添うようにして引き出してくれたのが、近藤さんではないか。最敬礼とはそういう意味である。

 だが、急いで言っておく。本書は断じて「こんな可哀相な人たちの、こんな悲しい物語」ではない。本書の縦軸となって描かれる一人の父親――髙橋さんという男性の、少年時代からいまに至るまでの歩みが、それを教えてくれるはずである。何度もけつまずきながら(つまりは、どもりながら)髙橋さんは歩きつづける。その背中からたちのぼるのは、吃音の物語にとどまらない、人が人とつながりながら生きていくことの普遍の尊さなのだ。

〈人が生きていく上で、他者とのコミュニケーションは欠かせない。/吃音の何よりもの苦しさは、その一端が絶たれることだ。言葉によって相手に理解を求めるのが難しい。さらに、その状況や問題を理解してもらうのも容易ではない。二重の意味で理解されにくいという現実を、吃音を持つ人たちはあらゆる場面で突きつけられる〉

 理解されない苦しさを理解されない――その苦しさは、いまの社会では(悔しいけれど)吃音を持つ人だけのものではないだろう。本書は、吃音をめぐるノンフィクションであると同時に、他者とつながること、他者を理解することについて問いかける一冊として、広く、深く、開かれている。

新潮社 波
2019年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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