真実の航跡 伊東潤著

レビュー

8
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真実の航跡

『真実の航跡』

著者
伊東 潤 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087711806
発売日
2019/03/05
価格
1,980円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

真実の航跡 伊東潤著

[レビュアー] 島内景二(国文学者)

◆軍組織が生む悪を凝視

 伊東潤の新作『真実の航跡』を読みながら、震えが止まらなかった。太平洋戦争中の一九四四年、日本海軍の重巡洋艦がインド洋でイギリス商船を撃沈し、一度は救助した多数の捕虜を殺害した「ビハール号事件」がモデルである。かつて、「魔王」と恐れられた織田信長が、部下に比叡山の僧侶の皆殺しを命じた出来事すら連想した。

 ただし、本作は、現代日本が直面している現状を投影させたフィクションである。大量殺人の命令がなぜ、誰にも止められなかったのか。フィクション(=文学)なればこそ肉迫(にくはく)できる真実がある。

 戦争は悪である。ただし、大量殺人という悪事に手を染めた当事者たちは、根っからの悪人ではない。善人、あるいは普通の人間が、時として悪人になる。なぜだろう。

 古典的な物語は、孤独は未熟さの表れであり、親子・夫婦・主従・友人・師弟などの人間関係の構築こそが、幸福への道筋だと教えている。

 だが、社会が複雑化した近代において、人間関係はもはや幸福を保証しない。人間関係こそが、不幸と悪の源泉である。それが、戦場という極限状況で露呈する。

 伊東は、日本海軍の組織(人間関係)に注目する。「阿吽(あうん)の呼吸」と「忖度(そんたく)」の二つが、巨悪の源泉だった。

 言葉によらない意思の疎通は困難であり、思いもよらない部下の行動を生む。この悲劇は、敗戦から七十年以上が経過した二十一世紀でも起こりうる。いや、その危険性は何十倍にも高まっている。

 会社、学校、家庭、サークル。組織の中のどこからでも「悪」は生まれ落ちる。IT化の進展で、事は日本だけの問題でもなくなった。

 本作は、香港で開かれたイギリス軍のBC級戦犯裁判に全力で立ち向かい、「正義」を見いだそうとした若手弁護士の奮闘が主眼である。イギリス、インド、日本、中国、それぞれの主張が絡み合う。

 正義への航跡は「悪」の凝視から始まる。伊東潤は、悪から目をそらさずに直視する「文学の力」で、世界を覆う悪と対決している。

(集英社・1944円)

1960年生まれ。作家。著書『巨鯨の海』『修羅の都』など。

◆もう1冊

城山三郎著『落日燃ゆ』(新潮文庫)。文官でA級戦犯となった広田弘毅(こうき)の生涯。

中日新聞 東京新聞
2019年4月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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