どの舞台に血を流すか――『殺人犯 対 殺人鬼』著者新刊エッセイ 早坂吝

エッセイ

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殺人犯 対 殺人鬼

『殺人犯 対 殺人鬼』

著者
早坂吝 [著]
出版社
光文社
ISBN
9784334912857
発売日
2019/05/23
価格
1,760円(税込)

どの舞台に血を流すか

[レビュアー] 早坂吝

 本作の舞台は児童養護施設だ。それもただの児童養護施設ではなく、孤島に立つ児童養護施設である。どうして孤島にそんな施設が立っているのかは本作を読んでいただくとして、問題は本作が連続殺人を扱った推理小説であるという点だ。子供が殺し殺されという内容にどうしても眉をひそめる方もおられるだろう。このようなデリケートな設定にしていいものかどうか私も悩んだが、論理の要請により致し方なかった。

 本作の根幹については簡単に思い付いたので、すぐ書き始められると思ってプロットを立ててみたところ、意外と舞台設定が難しいことに気付いた。中学か高校の修学旅行? 大学サークルの合宿? どれも細かい点で不都合が生じる。散々思案した末に、孤島の児童養護施設という舞台が浮かんできた。その設定だと、すべてのパーツがあるべき場所に収まってくれた。条件を満たす舞台は他にも存在するとは思うが、これもなかなかの舞台である。本作を読み終えた後、作者がなぜこの舞台設定にしなければならなかったか一度考えてみてほしい。ヒントは主要登場人物の人数と全体の人数だ。

 ――と、いくら論理の話をしたところで、子供が殺し殺されの陰惨な話であることに変わりはない。そこで読書感が重くなりすぎないよう、登場する子供たちをユーモラスに描くことを心がけた。もちろん現実の入所者を馬鹿にする意図はない。彼らが厳しい運命を背負っていることは理解しているつもりである。しかしそういった状況下でも、各人の才覚で何とか生き抜いていこうとするその姿にこそ、まこと物語にすべきユニークな個性が存在するはずだ。

 殺人を扱う推理小説を書くには、誰かを殺さなければならない。子供が死ななければ大人が死ぬ。推理作家はどこかの舞台を選択して、そこに血糊(ちのり)をぶちまける因果な商売だ。その暴虐に対する贖罪(しよくざい)として、せめて自分が選んだ舞台に対する敬意は忘れないようにしたい。

光文社 小説宝石
2019年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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