檀一雄長女・檀ふみ×新田次郎次男・藤原正彦×阿川弘之長女・阿川佐和子 創刊600号記念座談会 文士の子ども被害者の会〈後編〉
[文] 新潮社
父の薦める結婚相手
阿川 おそらく父にしたら、文章のことしか親として教えられることが何もないと思ったからでしょうし、あとは「あの文士の娘はこんなひどい文章を書いている」と言われるのが自分の恥だと思っていたんじゃないかな。
檀 それはやっぱり、あなたの今後を考えていたのよ。
阿川 今後?
檀 今後というか、ちゃんと作家としてやっていってもらいたいという願いはおありだったんじゃない?
阿川 あなたはどうだったの?
檀 うちの父は死んじゃったから。
阿川 あ、娘が公的に発表した文章をお読みになる機会はなかったんですか。
檀 ないんです。文章について言われたのは一度だけ、あるタレントさんが書いたものを父が読んで、それを私に見せながら、「こういういい加減なものを書いちゃいけません。書くんだったら一生懸命書きなさい」と言われたことがあるだけです。父は、女優としての私の仕事も一切見ていないし。
阿川 見てらっしゃらないの、勧めるだけ勧めといて? 高倉健さんとのデビュー作も?
檀 全然見てないの。唯一、NHKで『連想ゲーム』という番組に私が出ておりまして、それだけは父も家族と一緒に見たりはしていました。
阿川 (会場に向かって)『連想ゲーム』ご存じかしら、皆さん?
藤原 あれは日本中が見ていました。檀さんが頭の回転の速さを毎週見せる番組で。私も家族と見ていて檀さんの切れ味に舌を巻いていました。
檀 あの頃はちゃんと頭が回っていたの。今はもう全然で、「あれ」と「それ」だけで生きております。
思い返すと、父は私のことを真面目過ぎると思っていたのかもしれません。高校生の頃は、本気で真面目に毎晩、世界の平和をお祈りして……。
阿川 へ、何教なの?
檀 何教ってこともないけど、夜寝る前に、家族の健康とか幸せとか、世の中が平和でありますようにみたいなことをお祈りするような子だったの。それを父がチラッと見たらしくて、「あの子は一体何になるつもりかね。宗教家にでもなるつもりかね」と心配してたって。
阿川 そう思うわよね。例えば、曲がったこととか、ズルするような人は許せなかったの?
檀 そういうことではなくて、なんかこう、心が清らかっていうの?
藤原 ふふふふ。
阿川 今日は自慢する人しかいないんですか!(会場笑)
檀 他人が何をやってもいいんだけども、とにかくお祈りをすると気持ちがよくなる、そういう子だったんですね。だから、父がとても心配して。
阿川 お宅はクリスチャンの家系とかじゃないんでしょ? 宗派とかおありなの?
檀 うちは無頼派ですよ(会場笑)。父は「神も仏もあるものか」というクチですので、なんで自分の娘にこんなのができちゃったんだろうと気味が悪かったようです。一方では、娘は作家になるかもしれないってどこかで期待もしていて。
阿川 作家になりたいって言ったから。
檀 なりたいって言ったし、学校の成績も悪くなかったし、国語の成績は特によかったし。
阿川 まだ言うか!(会場笑)
檀 だから、父としては、「ひょっとしたら、これは作家になるかもしれないな」と内心思ってたと思うの。それが世界平和を祈るとか、そんな四角四面に生きていたら、絶対作家にはなれないだろうって無頼派としては考えたんじゃないですか? だから、「女優になれ」と言ったんだと思う。
阿川 作家になるには、世界平和を祈るより、ちょっと乱れた方がいいってお父さまは思ったのね。
檀 おそらく、そうじゃないかな。だって、父は「娘達への手紙」というエッセイの中で、「お前達の前途が、どうぞ、多難でありますように……。多難であればあるほど、実りは大きい」って書いているくらいですもの。それを読んで「おまえの父ちゃん、すごいな」と言う人もいたけど、私は「何、恰好つけちゃって」とか思ったわけ。無頼派っぽく、恰好つけてるよなあって。
藤原 でも、お父さんはふみさんに、「女優になっていろんな経験すれば、三十歳ぐらいになって、いいものが一つ書けるかもしれないよ」って言ったんですよね? つまり、それはいろんな、多難かもしれない経験を積めば、最後はいい物書きになれるだろうということですよね。
檀 ええ、たぶん父はそう言いたかったんだと思うんです。今、私が少し物を書くようになって思うのは、お二人もそうお考えだと思うけど、やっぱり書くってたいへんなことですよね。一旦書いたものって取り返しがつかないから、いい加減なことは書けないと思いません?
阿川 私はあんまり思ってないかな(笑)。
檀 私、昔は「娘達への手紙」で父は恰好つけてると思ったけど、「こう思っているんだ」と書くことはやっぱり本当に思っていないと書けないのだから……。
阿川 それが、いい加減なことは書けない、ってこと?
檀 つまり、私なんかつまらないものしか書けていないけれども、書くというのはちょっと魂を乗せることだろう、って感じているの。何かを書くと、私が書いたなりに〈言霊〉みたいなものをほんの少しだけは感じるんですよ。だから、思ってもいないことは書けないし、父はもっとそう感じていただろうから、「多難でありますように」と書いた時は、本当に娘には多難が必要だと信じていたに違いないと思うの。
阿川 「お父さん、ちょっと不倫してきました」なんて報告したら、「おお、でかした」って仰ったかもよ。
檀 わかんない、言ったことがないからね(会場笑)。でも、「何をやってもかまわない」とは私に常々言っていました。娘が泥棒するのは許さなかっただろうけど、「泥棒と結婚してもいいね」って。
藤原 やっぱり檀一雄さんってすごい人だなあと、今の話を伺ってて思いましたね。娘に「多難でありますように」とか「泥棒と結婚してもいいね」なんて言えるのは天才ですよ。
アガワは手抜きをしているか?
阿川 うちの父は私よりも数倍律儀で、まあダメ人間なところはありましたが、真面目で、外に向かっては「いい人」と思われたいという気持ちがすごく強い人間だったから、自分の文章に対しても厳しかったと思います。で、私が「週刊文春」でエッセイの連載を三年続けて、四年目に入ったら、もう書くことがなくなったんですね。友達のバカ話も自分のドジ話も家族のことも書いて、あれもこれも書いたと思ったら、本当に書くことがなくなって、それこそさっき話に出たみたいに、書けなくなったから転地療法したんです。
藤原 どちらへ?
阿川 アメリカのワシントンD.C.へしばらく行ってみたんです。外国に行って新しい経験をすればネタが増えるだろうという気持ちがあったんですが、言葉の不自由な状態で行ったわけです。そうすると、日常生活で「Hi, how are you, Sawako? What did you do yesterday?」なんて言われても、「アイ、ウエント、トゥ、ザ、ビッグフォール、アンド、イトワズ、ベリービューティフル」なんて英語しか出てこなかったんですね。すると、オソロシイことに文章がそんな会話と同じレベルになっちゃったの。感じることや見ることは言語能力に比例するんですね。日本語でも「昨日は大きな滝に行って、とても美しかったです」みたいな文章しか書けなくなった。とりあえず目新しい経験は豊富にしているくせに、文章から深みも味も熱も全然なくなって、編集部から「最近面白くない」って言われて泣いたんですよ。
藤原 思考や情緒の深さが言語能力に関わっている、というのは素晴らしい発見でしたね。でも、思い切って面白くないと言ってくれた編集者は立派です。
阿川 そう思いますけど、すごく悩みました。そんなとき、たまたま父とハワイで落ち合ったんです。私、父に人生で二回しか優しくされた記憶がないんですよ。
一回目は小学校の頃、ちょっと友達にいじめられていた時に、「おまえが毎日学校へ行っては泣いて帰ってくると母さんから聞いている。それはいろいろつらいことがあるだろうけれども、俺も柴田錬三郎のおじちゃんとか吉行淳之介のおじちゃんとか、みんなにいじめられてつらい思いをしている。おまえもつらいだろうけども、お父さんもつらい思いをしているんだから我慢しなさい」って慰めてくれた。父が吉行さんとかにいじめられているって言っても、バクチで負けていただけらしいですけどね(会場笑)。
二回目がこの時で、「エッセイが書けない。書いても面白くないって言われる」って父に愚痴を言ったら、「まあ、そういう時はあるよ。書けないときは書けないから、仕方がないんだ。その書けない時が大切なんだと志賀先生も仰ってた。しばらく経ったらまた書ける時が来るから、それまではまあ、三割でいいよ。読者には悪いが、三割しか書けない時は書けないんだ」と言われて、すごくホッとしたんです。人生でたった二回だけ、父に優しくされた。
檀 もうちょっとあると思うけど。
阿川 ない。
藤原 断言が素早い(会場笑)。うちの父は違う教えだったんですよ。私は「週刊新潮」を十年間連載しまして、毎週毎週三枚半を約五百回書きました。三枚半でも毎回、全力を尽くしたんです。これは、そういうふうに父に教わったからなんですよね。父曰く、「ライオンはウサギを殺す時も全力で殺すんだ」と。要するに、作家というのは、どんな短い原稿でも手を抜かず、必死になって書けと。そうしないと、ひとつ駄作を書いただけでも読者や編集者にそっぽを向かれるかもしれない、それで作家生命は終わるかもしれないんだ……この教えが父からの一番の被害だったかもしれないです。
阿川 わが家はゆるい教えで、どうもすみませんね(会場笑)。藤原さんは、一回も手を抜いたなと思ったことはないの?
藤原 全篇全力で書いたから、傑作だらけになっちゃった(会場笑)。だけど、数年前に亡くなった岩橋邦枝さんに「週刊誌の連載を長い間本気で書いていると、必ずガンになります。だけど風邪は引きません」と言われたんですね。確かに十年連載して風邪を一度も引かなかった。だから、そろそろガンになる頃だなと思って連載をやめたんですが、やっぱり、どこかで手を抜くことは覚えた方がいいでしょうね。「週刊文春」の阿川さんの対談はもうずいぶん長くやっているでしょう?
阿川 手を抜いているって仰りたいの?(会場笑)
藤原 お父さまが三割って教えてくれたように、長嶋だって、十回打席に立ってヒットはせいぜい三本で、あとは凡打でしょ?
阿川 十回のうち十本打ってたら体を壊しますよね。
藤原 父は、体を壊してもいいから、全力を尽くせと言ったわけです。この教えを有言実行した父は六十七歳で亡くなったし、私は長く週刊誌の仕事をして、しんどい目に遭いました。例えばその間、愛人と夢のエーゲ海クルーズにも行けなかった(会場笑)。数学でも手を抜かなかったし、生来の不器用なんです。うまく手を抜くのにも才能が必要だと思う。
檀 才能、必要ですよ。阿川さんを見てそう思います。
藤原 だって阿川さんはダ・ヴィンチみたいに多芸多才じゃないですか。小説、エッセイ、対談、司会、女優、みんなやって、みんな全力だったら、すぐ倒れますよ。
阿川 私が手抜きをしている方向へ持って行きたいみたいですが(会場笑)、あらゆるところに力入れたら、着心地が悪い服ができるんですって。イタリアの服がすごく着心地がいいのは、あちこちいい加減に縫ってあるのに、あるポイントだけはピシッと決まってたりするからだって話を聞いたことがあります。
藤原 そうか、なるほど。そこは無意識にせよ、やはり才能の領域ですね。
文士の子どもができる親孝行
檀 さきほども話しましたが、文章上のことで父から教わったのはたった一つ、「書くのだったら一生懸命書きなさい」ということでした。それから間もなく、親孝行もしないうちに父は亡くなってしまった。
最初はどうしていいかわからなかったけど、死後にできる親孝行は何かと言ったら、たった一つ、文章を書くことではないかとだんだん思うようになったんですね。父は娘が作家になることを少し期待していたところもあるから、私は「文章を書け」と言われたら断らずに書こうと決めていたら、実際に文章の仕事を頼まれた。書くとなると、父の教えのように、一生懸命書かなくてはいけない。その「一生懸命」って何だろうと考えて、未だによくわかっていませんけど。とにかく、依頼された字数をきっちり合わせることはしました(会場笑)。
阿川 そこは確かにアナタ、真面目よね。
檀 最初はまだ原稿用紙の時代だったから、きれいに字を書く。誤字脱字はないようにする。ところが、締切りに間に合わせるってことだけが……。
阿川 締切りには全然一生懸命じゃないんですよ、この人。
檀 ないです、はい。
阿川 逃げるらしいんですよ。
藤原 無頼派の血ですか?
檀 書けないから、というだけです。
阿川 電話を通じなくさせちゃったりするんです。野坂昭如さんじゃないんだから。
檀 阿川さんに「書けないときはどうする?」って聞いたら、「すぐ編集者に電話する」って。それで「『ダメ、書けないんだけど、あの、ど、どう? ギリギリいつまで?』みたいなことを言うの。そうするだけでも気が楽になるから」と教わりました。
阿川 編集の方に聞くと、連絡がつかなくなる筆者が一番困るらしいですよ。
檀 だから阿川さんに伺って、「ああ、そういう手もあるのか」と初めて知って、電話するようにしてからすごく楽になりました。編集者からもありがたく思われているみたいだし。
阿川 書けない連絡なんだから、正確には、ありがたくは思われてないと思うよ。
藤原 お二人はパソコンで執筆してますか?
阿川・檀 今はパソコン。
阿川 あら、今でも手書きですか?
藤原 僕は機械に対してコンプレックスを持っていまして、ワープロもパソコンもスマホも使えないんです。カメラも写せないし、ビデオも動かせない。
阿川 数学者なのに?
藤原 数学者は機械がダメな人が多い。戦後すぐに亡くなったケンブリッジのハーディって大教授は電話が使えないので使いを走らせ、万年筆さえ使えないので羽根ペンを使っていたそうです。私の恩師であるコロラド大学のシュミット先生はパソコンを繋いでいるとメールが来るからと、電源を抜いていました。私は、電源を抜いてもメールは情け容赦なく来ることくらいは知っています(会場笑)。
檀 数学って機械でやる感じじゃないですもんね。
藤原 私などは抽象的なことをじっと鼻毛でも抜きながら考えているだけです。鼻毛を抜くのは脳に刺激を与えるためです。それでもうまく考えがまとまらないと、知らないうちに鼻毛のことを考えたりしています。鼻毛って、一本抜いても二本抜いても平気だけど、三本以上同時に抜くと痛みで涙が出てくる。右の鼻の穴から抜くと涙は右目だけから出てきます。左目からは出てこない。やってごらんなさい。
阿川 やんないです、そんなこと(会場笑)。
結局、今日の文士の子どもたちはあまり被害に遭ってないっていう結論でしょうか?
檀 私は遭ってきましたよ、すごく。
藤原 被害には三人とも遭ってきたけど、書くことに対してのバリアを低くしてもらったとは思いますね。だから、みんな重大な内省や覚悟もせずに、普通のこととして自然に書き始めたでしょう? そこは被害じゃなく、利点ですよね。
檀 書いたおかげで、自分の頭や心の中に残せたことってたくさんあるから、父のおかげで書くようになったのはよかったです。あと、やはり父のおかげで女優の道へ進んだのも、ほかの道もよかったかもしれないけど、まあよかったかなと思ってはいますね。
阿川 今からもうちょっと一生懸命書こうと思ってますか?
檀 量のこと? それはあんまり思っていないかな。でも、もう少しちゃんと書かなきゃな、という気持ちはあるんです。というのは、「一生懸命」って何かをまだ掴めていないんですね。父の言う「一生懸命書きなさい」って、「一生懸命生きなさい」ってことかもしれない。硬い言い方だけど、いろんなことをやりなさい、いろんな経験しなさい、そこから雫のように落ちてきたものを文章にしなさい。そうは思うけれども、いろんな経験のほうを――ほら、結婚もしてないし。
阿川 どうぞして下さい。
檀 不倫もしてないし。
阿川 どうぞして下さい。お父さまに報告して喜んでもらわなきゃ(会場笑)。
檀 瀬戸内寂聴さんに「あなたはまだまだです」とか言われちゃったしなあ……。
阿川 今から寂聴さんに追いつくのはちょっと難しいかもね。
檀 うん。私のほうが尼みたいな感じがしてる(会場笑)。そういう意味で、父の期待ほど一生懸命書いていないと思う。
阿川 これは今日の前半で訊くことかもしれませんが、世間一般の考え方でいくと、檀さんのお父さまは火宅の方でしたよね。
檀 はい。
阿川 でも、火宅だったということでお父さまを憎んだりはないんでしょう?
檀 あ、ないです。
阿川 おうちではお父さまはちゃんと「父親」という役割をやっていらしたから、ふみさんは尊敬してらっしゃる。けれども、そのお父さまの奔放、無頼ってものへの反動、というところは何かあるんでしょうか?
檀 つまり、私がこれだけ生真面目で、きちっとしているのは父への反動だと。
阿川 自分で生真面目っていうかね?(会場笑) あれもこれも経験してみようという気概が、お父さまよりは少ないというか。
檀 ああ、そこは母が私をこうしたんですね。
阿川 性格はお母さまと似てるんですか?
檀 いえ、母に、私が父と似ている部分を全部チョキチョキ剪定されたんですよ。
阿川 じゃあ、本当はあれもこれもやろうと思ったことはある?
檀 それはあったでしょう、多分。それを母にあれもダメ、これもダメ、これはいい、という教育を受けて、なんとなくこうなっちゃったの。母の教育が素晴らしかったんですよ。
阿川 はい、ではそろそろ終わりましょうか。お二人とも、もう言い残した自慢話はありませんか?
藤原 お二人の話は感動的で、内容も豊かでしたが、私はどうもくだらない話ばかりで……でも、自慢話をするのはストレス発散になるからガンの予防にいいですよ。だから、みなさんも文士の子どもを見倣って、どんどん自慢なさってください(会場笑)。
阿川 今日もいろんな話が登場しましたが、「文士も変人ばかりだけど、文士の子どもたちもそうとうに変だ」というのが私の結論でございました(会場笑)。