檀一雄長女・檀ふみ×新田次郎次男・藤原正彦×阿川弘之長女・阿川佐和子 創刊600号記念座談会 文士の子ども被害者の会〈後編〉
[文] 新潮社
左から阿川弘之さんの長女・阿川佐和子さん、新田次郎さんの次男・藤原正彦さん、檀一雄さんの長女・檀ふみさん
父が望んだもの、伝えたもの。自慢話の末に思わぬ感動(本当です)が待つ大放談会。
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藤原正彦(以下:藤原) 母からの被害は父のよりもっと大きいですね。母は手が出ますからね。
阿川佐和子(以下:阿川) お父さまは殴らない?
藤原 ええ。母には何度かつねられました。つねりながら、同時に自分の口もグーッて曲がってくるんです。
阿川 本気で力入れるんだ!
藤原 もちろん。痛かったですよ。しかも母からの被害は、母は小説より随筆が多かったから……。
檀ふみ(以下:檀) ああ、ネタにされるという意味では随筆の方が小説より具体的な現実に基づくから、家族の被害は大きくなりますよね。でも、うちの父は私小説も書くので、『火宅の人』ではフミ子という女の子がニワトリの餌なんか食べて、ワーワー泣いています。
阿川 うちも父の私小説に私が出てくるの。あることないこといろいろ書かれましたよ。てい先生の随筆に、正彦少年もずいぶん登場した?
藤原 小学校の時に、友達の手の指を折ったとかね。私が悪いというより、高いところから飛び降りたら、そいつが私の着地点に手を置いていたというだけなんです。
檀 さあ、折ったのは誰の責任でしょう?(会場笑)
藤原 私は中学校の時、サッカーと一緒に砲丸投げの選手もしていたんですが、廊下で砲丸を投げて床へ穴をあけたとか、羽目板を叩き壊したとか、それで母が小学校、中学校、高校と学校へ何度も謝りに行かされたとか。実にオーバーに書かれている。
檀 でも、事実ではあるんでしょう?
藤原 砲丸は誤って肩から落としただけ、通路の羽目板を殴って壊したのは、なんかムラムラムラッとして発作的に。今から考えると、あれは性的欲求不満だったのではと。
阿川 そんな、ゴリラじゃないんだから(会場笑)。
藤原 確かにその件で母が謝りに行ったりはしていました。高二の時、実力テストはクラスで一番だったのに、漢文の授業をこっそり抜け出したため、漢文の先生が意趣返しで成績を出してくれなかった。学年末、担任に落第と言われたのを、母が謝りに行って、どうにか進級できた。でも、そんなに何度も謝りに行ったわけではない。小中高それぞれで二回ずつくらいと思います。
阿川 充分多いって感じもしますけど。お母さまはお兄さんや妹さんについても書かれているんですか?
藤原 私のことがほとんどです。
檀 愛されてたんですね。
藤原 違う違う。兄は真面目一方だし、妹は引っ込み思案で、私だけが生まれた時から猪突猛進で、変わったことばかりしたり考えていたから書くネタにしやすかったんです。いま思うと、私は数学者以外なれなかったですね。
檀 数学者というのはそういう方が多い?
藤原 ええ。まず団体行動が苦手。協調性があったら、数学なんてやっていけません。だって、一人でじーっと一年でも二年でも考え続けなければいけない。数学でなくてもいいけど、阿川さん、何年も朝昼晩考え続けるってできます?
檀 阿川さんには絶対無理。絶対じっとしてない(会場笑)。
藤原 机にへばりついて一時間もすると、もうフーフーでしょ?
檀 一時間もできない。阿川さんはせいぜい三分です。
阿川 あなたが答えなくていいのよ(会場笑)。
藤原 問題は、わが家は妻も随筆を書くんです。この被害もあります。先年、家族で八ヶ岳へ登った時、十メートルくらい向うに百キロ級のクマが出た。そしたら妻が随筆に「夫はいつも武士道精神とか偉そうなことを言っているくせに、家族を置いて一目散に逃げた」云々と書いた。真っ赤な嘘です。私はその巨大なクマを見た瞬間、後ろには行ったけど逃げはしなかった。激しく後ずさりしただけです(会場笑)。
檀 激しかったのがいけなかったんですね。でも、ご自分も奥さまのことお書きになるから、痛み分けじゃないですか?
藤原 私は「妻の性格が悪い」と本当のことを書いているだけですが、向こうは嘘を書きますから悪質です(会場笑)。家に遊びに来た友人のオーストラリア人弁護士に女房が「妻は悪口を書く夫を名誉毀損で訴えられるか」と聞いたら「もちろん」でした。
作文の大作を書く
阿川 檀さんはお父さまから「書きなさい」と勧められたり、文章を褒められたりしたのよね。
檀 私は小さい時、ちょっとゴマすりの、いい子ちゃんだったんで、「父の後を継いで作家になります」みたいなことを言ったのね。
阿川 それはやっぱりお父さまが好きだから?
檀 正確に言うと、父が機嫌よくしているのが好きだったのかなあ。
阿川 娘が「作家になります」みたいなことを言うと、お父さまはご機嫌よかったのね?
檀 多分それを幼心にわかっていたんでしょうね。父が喜ぶから、作文の宿題なんかも、小学校一年生なのに遠足について十枚ぐらい書いちゃうんですよ。
藤原 すごいね、それは。
檀 そうすると、父がお客さまに「この子は大作家になりますよ。大河小説を書きます」なんて言うの。
藤原 十枚という長さだけで作家は感心しないから、きっと内容も良かったんですよ。
檀 内容は読んでないですもん、父は。
阿川 十枚書いたということを評価なさった?
檀 うん。あなたも遠足で十枚書いたって噂が。
阿川 いや、私は十枚は書かないけど、やっぱり遠足の作文をたしか小学校二年の時に書かされたんです。
高尾山へ行ったんだけど、遠足って前の日から興奮するでしょ? 何を持っていこうかとか、枕元にこれを置いてとか。一人五十円のおやつに、どんなものを買ったとか。それで、なかなか寝られないと思っていたら、朝、カタカタカタという台所の母の音が聞こえて、目が覚めて。お弁当作ってくれているってわかって、嬉しくて嬉しくて、起き上がってどんなお弁当ができてるかなって思っていたら、友達が迎えに来て、学校へ行ったら校庭にみんながクラスごとに並んでて、「おやつ、何買った?」なんていうお話をして……。
檀 長くないですか、それ。
阿川 それから高尾山に行きました、で終わったの。そしたら、先生から赤ペンで、「高尾山に行ってからのことも、もう少し書いてほしかったですね」(会場笑)。その時、作家の娘なのに私には文才がない、と思ったことを覚えてる。檀さんは書くのが好きだったの?
檀 小っちゃい頃は、嫌いではなかった。
阿川 私は嫌いだった。読書感想文とか大嫌いだった。藤原さんは作文、得意だったんですか?
藤原 僕、作文は得意じゃなかったです。檀さんはオールラウンドの秀才ですよね。
阿川 だって東大受けたんですもん、この人。
檀 落ちたし。
阿川 まあでも、受験すること自体がスゴイじゃない。
檀 クラス全員が受験するような学校だったんですよ。
藤原 ああ、教育大附属でしたね。当時、あそこは日本一の秀才校。
こうして女優にさせられた
阿川 だから、彼女は何かの間違いで女優になったんですけれども、作家になるという夢がずっとあって――。
檀 夢って、真剣にそう思っていたわけじゃないんだけど、ただそう言ったら父が喜んでしまって、それを何だかずっと覚えているんですね。中学校の時も、私が学校の文集に何か書いたら、それを父がちゃんと読んで、「よく書けていました。頑張れば作家になれます」って言われた。これには吃驚して、(あれ? 私、作家になるんだったかしら)とか思って。
私が女優になったのも……別に女優になりたくなかったんですよ。なるつもりも全然なかったのに、そういう話が持ち上がった時、父の義弟が東映という映画会社にいたものですから、まず父へ話が行って、父がOKしちゃったんですね。で、父から「やりなさい」と。
阿川 本人の意志も聞かずに?
檀 本人は本当に拉致されるみたいに撮影所へ連れて行かれたら、その日いきなり衣装合わせとカツラ合わせだったんです。ただ撮影所見学って言われて行ったのに、それがカツラ合わせだとわかってボロボロ泣いたんですよ。
阿川 なんで女優になりたくなかったんですか? だって、「あなたは女優さんになれる」とか言われたら、とりあえず「あら、そうかしら?」って普通喜ぶでしょ?
檀 それはなかったの。通っていた学校が本当にもう全員が東大に行くような学校だったので……。
阿川 今日はなんかあっちもこっちも自慢話ばっかりで、イヤな感じだわ(会場笑)。
檀 とにかくそんな環境だったから、女優になるって発想がないのよ。大体、私は普通に生きようと思っていたし。カツラ合わせで泣いた、その映画の主演が高倉健さんだったんです。東映の人たちも「なんでやりたくないんですか、主演は健さんですよ」って説得してくるんだけど、私は受験校の、しかも女子高生だから、高倉健ってどういう人か全然知らなかった。当時の任侠映画……ご存じですか?
藤原 もちろん、チャンバラ、西部劇、ギャング、任侠など暴力ものは全部好きです。
檀 その任侠もの、まあ、やくざ映画ですよね。それで健さんブームがすごい時代でした。健さんもまだ四十になるやならずの頃で、脂の乗った時だったと思うんですけど。でも、私は健さんを知らないから「どういう方ですか?」って聞いたら、東映の人も困って「江利チエミさんの旦那さんだった方ですよ」。江利チエミさんも私、サザエさんのお顔しか知らなかったので、サザエさんの旦那さんってつまり……。
阿川 マスオさん?(会場笑)
檀 ……って思ったぐらいだったの。それがカツラ合わせの日に、私が泣いていたら、その時はもうカツラ部屋から外へ出ていたんですけど、通路の向こうからちょうど健さんが歩いていらした。「あ、主演の高倉健さんです。こちら檀ふみさん」って東映の人が紹介したら、健さんは「高倉です。よろしく」とひと言だけ言って、スタスタと去って行ったの。
藤原 カッコよかったでしょうね。
檀 その後ろ姿を見て、こんなに素敵な男性が日本にいるんだと思った。
阿川 一目で惚れちゃったのね。今までそんな人に会ってなかった?
檀 全然会ってなかった。だって、絶頂期の高倉健ですよ。それでちょっと、本当にちょっとだけ、「この人にまた会いたいな」という気持ちが芽生えたの。
阿川 純真だったのね、昔は。
檀 でも、まだ映画に出る気はなくて、家へ帰って拗ねていたら、夜中に父に呼ばれたんです。
阿川 夜中に?
檀 もう真夜中。呼ばれて父の書斎へ行ったら、「こういう映画に出て、女優になれという話が来ていますが、あなたはどうするの? やるの? やらないの?」「え、私はやりません」「なぜやらないの?」「私、こんなに背も高いし、顔もまずいし、色は黒いし」。その頃、水泳部だったので真っ黒だったのね。で、「演技のエの字も知らないし。私はちゃんと勉強して大学に行って、きちんとしたお仕事に就きたいと思います」と言った。
阿川 仕事をしたかったの?
檀 当時は学校の先生になろうと思っていたのかな。
阿川 ああ、それは似合ってたと思う。
檀 普通、娘が女優なんかならずに、ちゃんと大学へ行きたいです、真面目に勉強したいですって言ったら、親は泣いて喜びますよね。ちゃんとした娘に育ったなあって。
藤原 正しい子育てにより堅実な娘になったと。
檀 ところが父はすごく不機嫌になって、「顔がまずいのが何だ。背が高いのが何だ。チャップリンを見なさい。ジャン・ギャバンを見なさい。みんな努力です。やるの? やらないの?」(会場笑)。こうなったら、父はうちでは絶対君主でしたから、もう逆らえないんです。「はい、すみません。じゃ、やります」って本当に泣きながら答えました。
阿川 女優は泣きの涙で始めたの?
檀 そういうことです。でも、そこにちょこっと高倉健さんともう一遍お会いできるんだなという……。
阿川 下心はあった(会場笑)。
檀 ただ、その時に父が言ったのは、「やればいいじゃないか。女優になっていろんな経験をすれば、三十歳ぐらいになって、いいものが一つ書けるかもしれないよ」。
阿川 ああ、最終的には書かせたかったんだ。
檀 あの方にとっては、書くということが多分すべてでした。そのくせ不思議なことに、父は大してたくさんは書いていないんですけどね。でも、作家とか詩人とか物を書くことは、至上の素晴らしい仕事だと思っていた気がします。だから娘が書く仕事をするかどうかについても、何か思いがあったんじゃないかな。