読みながらお腹が空いてくれたら。初の時代小説でヒットを産んだ柴田よしきの創作の秘密とは?

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お勝手のあん

『お勝手のあん』

著者
柴田よしき [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758443074
発売日
2019/12/16
価格
748円(税込)

柴田よしきの世界

[文] 角川春樹事務所


柴田よしき(撮影編集部)

ミステリーや青春、恋愛、あるいはスポーツとさまざまなジャンルで話題作を発表し続ける柴田よしき。その新刊は『お勝手のあん』。著者初の時代小説である。幕末を舞台に一人の少女の成長を描くこの作品に込めた思いと創作の舞台裏をうかがった。

 ***

突然、角川春樹社長が「時代小説を」とおっしゃって

――驚きました、柴田さんが時代小説を書かれるとは。

柴田よしき(以下、柴田) 数年前からさまざまな出版社からお話はいただいていましたが、ずっとお断りしてきたんですね。時代小説って日本刀での活劇が出てくるじゃないですか。でも剣のことなんてまったくわからないし、私には書けないなと。今回も最初はガレット屋さんを舞台にした現代小説になる予定だったんです。でも、美味しいと評判のガレット屋さんで、その打ち合わせが始まろうとしていた時、突然、角川春樹社長が「時代小説を」とおっしゃって。もう私、目が真ん丸になってしまって(笑)。

――今度ばかりは断れなくなってしまった(笑)?

柴田 ええ。でも、すぐにはお引き受けできなくて、少し時間をくださいと。それでお侍さんや剣に囚われず、自分流の時代小説ができないものかと考えた末に生まれたのが『お勝手のあん』です。

――主人公は品川宿の旅籠「紅屋」で下働きをするおやす。”やす”は漢字で”安”と書けることから”あん”と呼ばれるわけですが、設定は十五歳。柴田さんの作品で少女が主人公というのは珍しいですよね。

柴田 私、『赤毛のアン』がとても好きなんです。いつか、この作品をモチーフ小説にして書いてみたいと思っていたので、今回がそのチャンスだと。『赤毛のアン』に貫かれているのは、日常を大切にする、その尊さみたいなものだと感じています。つまりそれは、どう生きるかということ。『お勝手のあん』も――人の少女が、周りの人たちと触れ合いながら日々をどう生き抜き、成長していくのか。その姿を描いていきたいと思っています。

――生き抜く術となるのが料理ですね。その覚悟が「私は節になろう」という言葉に表されています。あんの非凡さを感じるとともに、性格まで伝わってくるような言葉です。

柴田 いい節でなければ、いい出汁は出ません。そのことをおやすは知っているわけです。節ってすごく手間暇が掛かるものなんですよね。魚を茹でて、干してから黴をつけて熟成させて。それを人に置き換えれば、つまり、精進ということなんでしょうね。だから、いい節になるために、まずは自分自身を高めていかなくてはいけない。そう思い、おやすの目標になった。自分を高めることで人も幸せにできる。そんな女性の姿を重ねています。

日常の向こう側に、幕末のうねりが感じられるような作品にしたい

――舞台を幕末に設定されています。

柴田 大きなうねりのある時代ですよね。作中では安政の大地震に触れていますが、その後は井伊直弼による安政の大獄があり、暗い時代に入っていきます。そして薩長の対立も激化し、新撰組も登場するなど不穏な空気はますます強まっていく。そんな中でも、おやすの日常は続いていきます。彼女にとって大切なのは毎日料理をして客をもてなすことであり、またその腕を磨いていくこと。変わらぬ毎日を続けること、生活していくということが、生きるということだと思います。もしかしたらこの作品は、私なりの『この世界の片隅に』なのかなと書きながら感じることもありました。

――時代背景を明確にすることで、日常という存在がより際立つように感じます。

柴田 冒険でもあったんですよね、時代の匂いがするものは敬遠されがちだとも言われていますから。でも、江戸時代って二百六十五年間もあるわけで、初期と後期を比べれば生活様式も食べ物もぜんぜん違います。せっかく時代小説を書くのであれば、私はどこかに絞りたかった。おやすの日常の向こう側に、幕末のうねりが感じられるような作品にしたいと思っています。

――そうした世の中の情勢をあんに教えてくれる役割として登場しているのが、”なべ先生”こと河鍋暁斎です。実在した人物ですが、あまり馴染みがなかったので新鮮でした。

柴田 河鍋暁斎は天才絵師として名を残していますが、知る人ぞ知るという存在かもしれませんね。歴史上有名な人ばかり出しても、歴史ファンでない方にはピンとこないだろうし、逆に歴史好きな方にはありきたりに思えますよね。歴史を意識しなくても楽しめる作品にしつつ、どこかで歴史も感じてもらいたい。ですからNHKの大河ドラマにはあまり登場しないような人物を出していこうと考えています。と言いながら、この先には篤姫も登場するんですけどね(笑)。ですが、作品に登場する以上は一つのキャラクターですし、大事なのはどう使うか。歴史に詳しくない方でも楽しんでもらえるように、また、歴史好きであれば物語世界に親近感を抱いてもらえる人物になればいいなと思います。

――作品には、あんの才能をいち早く見抜いた料理人の政一さんはじめ、あんを導いてくれるような大人たちが揃っていて、彼らも魅力でした。

柴田 周囲の大人たちに恵まれたというのが、彼女の幸運ですよね。彼女が働く紅屋にはとても親切な人たちが揃っています。そして皆、いろんな過去を持っている。政一さんが料理の知識が豊富なのもちゃんとワケがあるんですけど、そこは今後のお楽しみということで(笑)。

読みながらお腹が空いてくれたら

――うわっ、気になります。現在「ランティエ」では『お勝手のあん』の続編となる『あんの青春』が連載中ですし、シリーズ化も決まっているそうですね。

柴田 最終的には三十歳くらいまで書きたいなと思っています。その頃にはおやすも料理人になっているでしょう。それから、予定では意外な人と結婚することになりますよ(笑)。江戸時代って、恋愛は庶民の特権でもあったんですよね。大店のお嬢さんや武家の娘さんに恋愛は許されなかった。だから、庶民の恋愛物語こそが、江戸小説の大きな柱だと思っています。

――料理も楽しみの一つになりそうです。ふわっと香りが漂ってきそうで食欲が刺激されますし、丁寧な下ごしらえの描写では作ってみようかなと思ってしまいました。

柴田 実はここが一番の悩みどころで、どんな料理にしようかと。おばんざいシリーズや高原カフェ日誌シリーズもそうですが、私、小説に登場する料理はすべて作ってみるんですね。だから今回も自分が作ったことのあるもの、作れるものにしようと。とはいえ、江戸時代と今ではずいぶん食べ物が違います。獲れる魚の種類も違うから、庶民はどんな魚を食べていたんだろうと資料などを参考にしていますけど、あまり囚われすぎなくてもいいのかなと。南蛮と呼ばれていたポルトガル料理を使ってみようかと研究も始めています。

――柴田流の西洋料理江戸仕立て、楽しみです。

柴田 読みながらお腹が空いてくれたら作者としても嬉しいです。

――お話を伺っていると、初の時代小説を柴田さんご自身も楽しまれているように感じます。

柴田 知らないことを知る、その楽しみを見つけています。でもね、断ったままのほうが良かったかなと思うときもあって(笑)。調べても調べてもわからないことがたくさんあるんですよ。残されている資料って、案外特別なことばかり。でもそうですよね。普通のこと、当たり前だと思っていることってわざわざ書き残しませんもんね。天ぷら一つ取ってもそう。揚げ油は火事を起こしやすいことから幕府は一般の家庭だけでなく、店でも天ぷらを揚げるのは禁止にしていました。でもある程度の規模の店ならいいよと。で、その”ある程度”がどの程度なのか、調べると色々疑問が出てきてしまったり。普通を書く、庶民の当たり前を書くということがこれほど難しいものなのかと痛感しています。

――一読者として、柴田さんの新たな世界を楽しんでいます。冒頭から物語の世界に引き込まれました。

柴田 ページターナーを作品の一つの目標にしています。ページターナーって実はあまり良い意味ではなく、読み飛ばせるような、というニュアンスで使われることがあるんですが、リーダビリティ、読みやすさ、ページを捲るのが止まらない感じというのは、エンタテインメント小説では大事なことだと思っているので、常に意識しています。この作品も楽しみながら、おやすの成長を見守っていただけるようなシリーズにしていきたいと思っています。時代小説は好きだけど、柴田よしきという名前は知らないという人にも読んでもらえれば。そして、おやすを好きになり、応援してくださると嬉しいですね。

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柴田よしき(しばた・よしき)
東京都生まれ。1995年に『RIKO-女神の永遠-』で横溝正史賞を受賞。著書に『激流』『聖なる黒夜』『ワーキングガール・ウォーズ』他。近著に『ねこ町駅前商店街日々便り』『創元のコック・オー・ヴァン 高原カフェ日誌Ⅱ』など。ジャンルを超えて幅広く意欲作を発表し続けている。

角川春樹事務所 ランティエ
2020年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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