『パライゾ』
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人を殺すとはどういうことか?
[レビュアー] 阿川せんり(作家)
某社の担当編集さんがしきりに海外旅行をすすめてくるのですが、作家として経験値を積むのであれば海外に行くよりも人を殺す方がはるかに有意義なのではないか――などというのは軽率な冗談ですが。
創作においては頻出テーマであり、「奥多摩(おくたま)で凶悪事件発生しすぎじゃないですか……」とテレビに向かってツッコんでしまうくらいナチュラルに扱われ続けてきた「殺人」。一応、データを見る限りでは本邦の殺人発生率は0.3%以下(二〇一七年国別殺人発生率ランキングより)であり、殺人の当事者となる確率はそれなりに低いのではないかと思われます。
それなりに低いといっても、年間一〇〇〇件前後は殺人が発生している(未遂も含みますが)。そして創作において頻出テーマであるということは、なんやかんや興味を持っている人間が多いということ。例に漏れず私も殺人というものに昔から興味を抱き、学生時代はルポだの手記だの買い漁(あさ)ったものでした。現実の殺人が気になってならず、だからこそ殺人を扱った創作物に納得いかない部分が多く、自ら表現することを試みた。しかしルポだの手記だの読んだからなんだというのだろう。人を殺す時の手の感触は? その行為はいかように精神に作用し続けるのか? 本当のところ、人を殺すってどんな感じなのだろう?
執筆中に冒頭の編集氏に殺意を募らせ、ついには……などということもなく、殺したいほど憎い相手と出会ったことすらない人生でした(でも貧乏作家にあんまり海外海外言うのは酷だと思います。殺人発生率の観点からいえば海外に行って学べることは多いのかもしれないですが)。その程度の人間が、どこまで殺人に迫ることができるのか。
極限の状況×殺人者について、ひたすらに思考し執筆した『パライゾ』、お楽しみいただけると幸いです。いくつか正解が含まれていたらいいなと秘(ひそ)かに期待しております。