『囚われの山』発売記念 作家 早見俊・伊東潤特別対談「伊東潤 近現代小説の魅力」

対談・鼎談

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囚われの山

『囚われの山』

著者
伊東 潤 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784120053146
発売日
2020/06/23
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『囚われの山』発売記念 作家 早見俊・伊東潤特別対談「伊東潤 近現代小説の魅力」

[文] maito(ライター)


左・伊東潤さん 右・早見俊さん

『茶聖』『走狗』『西郷の首』など、歴史小説の名手として知られる伊東潤が新作に選んだテーマは明治に起こった「八甲田雪中行軍遭難事件」。
 今この事件を取り上げた意義や、BC級戦犯を描いた『真実の航跡』、よど号ハイジャック事件をモチーフとした『ライトマイファイア』など、近現代小説に作品の幅を広げつつある想いや背景を、作家の早見俊氏をゲストにお招きし対談しました。

(2020年5月9日オンラインにて行った対談のダイジェスト版となります)

 ***

近現代作品への思い

伊東潤(以下伊東):2007年のデビュー以来、幕末・明治維新以前の歴史小説を中心に書いてきましたが、2016年に『横浜1963』を上梓してからは、近現代小説も手掛けるようになりました。今回は最新作である『囚われの山』という作品を中心として、過去の作品を振り返りつつ、なぜ私が近現代小説に挑戦するのかを中心にお話ししていこうと思っています。ゲストには早見俊さんにお越し頂いています。早見さん、よろしくお願いします。

早見俊(以下早見):こちらこそよろしくお願いいたします。時代小説を手掛けておりまして、文庫書き下ろしを中心に発売しております。

伊東:早見さんに改めてお聞きしたいのは、近現代作品に挑もうとしたキッカケや、書く意義はどこにあるとお考えですか。

早見:私は元々ミステリーが好きでした。ミステリー作品で新人賞に応募したものの、ことごとくダメだったのですが、ミステリーで育ってきたところがあるので、作家デビューした後も、ミステリーを書きたいという思いを持ち続けていました。時代小説のシリーズものを書くことに重点を置く中で、時代小説におけるミステリーものも書いていましたが、やはりミステリーの王道である現代ミステリーにチャレンジしたい、とどこかで考えていましたね。そこに作家としての間口を拡げたい、他のジャンルも書けるということをアピールしたい、という気持ちも加わっていたと思います。最終的には、機会を得て何作か書くことができました。

伊東:早見さんのお話を伺った後ですが、私の方からも近現代小説を書く意義や挑むに当たっての心構えをお話ししたいと思います。
 私は戦国時代を舞台にした歴史小説をからスタートしました。しかし当初からジャンルに囚われず幅広く書いていきたいという思いはあり、その機会をうかがっていました。とくに戦後昭和まで描いていきたいという気持ちは、年々高まっていました。
 というのもここ数年、これまで地続きだった昭和が、次第に歴史の世界に行きつつあると感じていたからです。それは戦後昭和も同じで、事件や事故などに関して、ノンフィクションをベースにしたフィクションという形式が使いやすくなった気がします。つまり戦後昭和にまで、歴史小説の守備範囲を押し広げることができるようになったと感じているのです。

早見:特に戦後の昭和は、私を含めリアルタイムで経験した人々が多くいるだけに、当時の報道とは違う角度から光を当てることで、あの事件にはそんな一面があったのかという驚きを感じられます。変な言い方ですが、自分の人生経験がエンターテインメント化できると思います。

伊東:その通りですね。「事件を違う角度から照射する」というのは小説ならではの技法で、これまで無味乾燥な事実しか知らなかった事件も、新鮮な視点から見えてきます。
 先ほど作家の過当競争の話をしましたが、戦国や幕末を舞台にした小説は、まさにレッドオーシャンです。斬新な切り口の作品は売れることもありますが、歴史をなぞっただけの武将物や英雄物は売れなくなりました。それほど歴史・時代小説も飽和状態にあるのです。
 だからこそブルーオーシャンを開拓せねばなりません。私はそれが明治十年以降の時代だと考え、そこから昭和までの時代を題材にした作品に進出することに決めました。
 近現代史を小説として書くということは、失われつつある日本人の足跡を残していくことにもつながります。「それなら研究本やノンフィクションを読めばよい」と思われるかもしれません。しかし、どれほどの方が近現代史の研究本を読まれるのか。中には興味があっても、きっかけがないので手が出せないという方もいるでしょう。だからこそ小説という入りやすい媒体を通じて大枠を知ってもらい、さらに知りたければ、参考文献に手を伸ばしてもらうというパスを作りたいのです。
 近年はネットを通じて様々な情報が入手しやすくなったので、自分が欲しい情報だけを手にして、他のことに目もくれないフィルターバブルという状態が当たり前のようになっています。そのため近代史を全く知らない若者もいます。歴史全体に目を向けてもらい、歴史を学ぶ大切さを知ってもらうためにも、小説を媒介にしてもらいたいのです。

伊東潤近現代史作品 新作『囚われの山』について

伊東:最新作『囚われの山』が6月22日に発売されます。本作は八甲田雪中行軍遭難事件の謎を、現代の歴史雑誌の編集部員が解明していくという趣向の作品です。
 この事件の小説は、新田次郎さんが『八甲田山死の彷徨』を書いて以来約50年、誰も手を付けませんでした。その偉大な高峰に挑むにあたって、新たな視点で描かなければ意味がありません。いわば別の登頂ルートから八甲田山の頂上を目指したわけです。
 ところがいざ始めてみると、想像以上に苦戦しました。『八甲田山死の彷徨』を再読し、多視点群像劇という最初の構想のままだと、新田さんの作品と同じ切り口になりかねないことに気づいたのです。
 そこで何らかの刺激が欲しいと思って手を伸ばしたのがドニー・アイカーの『死に山』でした。この作品は、作者本人がディアトロフ峠事件というロシアで実際にあった山岳遭難事件の謎を探っていくというノンフィクションですが、当事者たち、捜索者たち、そしてアイカー自身という三つの物語(厳密には記録)が入れ子構造で展開されるという秀逸な構成です。
 それで『死に山』を換骨奪胎し、現代の歴史雑誌の編集者たちが八甲田雪中行軍隊遭難事件の謎を暴いていく現代パートと、事件当時の過去パートの双方を入れ子構造で描いていくという構想ができ上りました。
 ただし、頻繁に過去と現代とを行き来していくと読みづらくなるので、それぞれを大きな固まりとしてまとめました。

早見:最後はあっと驚く趣向があって、楽しみました。この事故は映画と新田次郎さんの作品のイメージが強すぎて、青森連隊と弘前連隊の友情物語みたいな描かれ方をしていますが実際は全然違うということを、『囚われの山』を通じて知りました。まさに小説を通じて気づき、そこから専門書を読んで歴史を知る、という伊東さんの目指した流れを体感することができましたね。

伊東:本作もノンフィクションをベースにしながら、フィクション部分を作り込むという手法に特徴があります。ただしノンフィクション部分には、ほんの少しだけ独自の解釈は加えていますが、ほとんどは史実のままです。よく「小説なので史実かどうか分からない」といったレビューを書く人がいますが、この手法を使う場合、史実をベースにしていなければ面白くなりません。その縛りを強くした上でフィクション部分を作り込んでいくというのが、われわれプロの仕事だと思います。

この対談のフルバージョンは特設サイト「伊東潤 近現代小説の魅力」にて読むことができます。

伊東潤 近現代小説の魅力
https://itojun.corkagency.com/torawarenoyama/

maito

CORK
2020年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

CORK

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