自己分裂が主題 大正期が生んだ新しい感受性

レビュー

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檸檬

『檸檬』

著者
梶井 基次郎 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784101096018

書籍情報:openBD

自己分裂が主題 大正期が生んだ 新しい感受性

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

今回のテーマは「月」です

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 大正文学の特色は病んだ青白い想像力にある。それまで否定されてきた精神の病いに惹かれていった。

 とくに病んだ心の生む自己分裂のテーマが重視された。自分とは別にもう一人の自分がいてそれを幻視する。

 その代表作のひとつが梶井基次郎の短篇「Kの昇天」『檸檬』所収)。大正十五年の作。

 療養のため、ある海岸に来ている「私」は満月の晩に、海辺でKという青年に出会う。Kは砂浜の上を行ったり来たりしている。

「私」はKと話すうちにKが美しい月の光に照らされた自分の影(もうひとりの自分)に心惹かれていることを知る。

 そのあと「私」はKが溺死したと聞き、Kは自分の影に導かれて海に入ったのだろうと思う。

 身体は地上に残り、意識は月に引き寄せられ、イカロスのように昇天してゆく。

 作中にシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』のなかの「影法師」が語られていることから梶井が自己分裂を主題にしていると分かる。

 さらにフランスの詩人ラフォルグの詩「月光」が一行引用されている。Kの月への憧れがあらわれている。

 だからKの溺死を知った「私」は思う。

「K君は月へ登ってしまったのだ」

 西洋近代へ追いつこうとした明治時代が太陽を目ざしたとすれば、近代化が一段落した大正期は月のひそやかな光に惹かれる新しい感受性を生んだと言える。

新潮社 週刊新潮
2020年10月1日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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