角川春樹が「2020年一番の感動作!」と断言する渾身の物語。平岡陽明さんの特別インタビュー

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ぼくもだよ。神楽坂の奇跡の木曜日

『ぼくもだよ。神楽坂の奇跡の木曜日』

著者
平岡陽明 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413657
発売日
2020/11/16
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

平岡陽明の世界

[レビュアー] 角川春樹事務所


平岡陽明

2013年『松田さんの181日』でオール讀物新人賞を受賞、2016年に初の長編小説となる『ライオンズ、1958。』が各メディアで話題となる。出版人の情熱を描いた『イシマル書房 編集部』は業界から共感を呼び、2020年には『ロス男』(講談社)が吉川英治文学新人賞の候補となるなど、着実に成長を遂げ、実力派として注目を浴びる作家・平岡陽明。書店員たちからも熱い支持を集める注目の新刊の魅力に迫ってみた。

 ***

新作小説のきっかけは、角川春樹社長からの三題噺だった

内田剛(以下、内田) まずこの新作を書かれたきっかけからお伺いします。

平岡陽明(以下、平岡) 『ライオンズ、1958。』で角川春樹社長からご縁をいただき『イシマル書房編集部』でもご一緒させて頂きました。『イシマル書房』を書き終えた直後に社長から「次は神楽坂と営業と女の子だ」と三題噺のように今回の作品のお題をいただきました。

内田 テーマを与えられてスムーズに書き始められましたか。

平岡 かなり悩みましたね。営業の女の子・七瀬希子が主人公ではなくて一番重要なキューピッド役と決めてから物語が動きました。40歳の男の想いをテーマとした『ロス男』も本作につながっています。男にとって40歳という節目がなりたかった自分になれないと気がつく年頃なんです。

内田 登場人物のキャラクターがまた魅力的ですね。

平岡 盲目の書評家・竹宮よう子という主人公を神楽坂という街に配置して希子との打ち合わせのシーンを浮かべながらイメージを固めました。二人の女性の対岸には男性が必要だなと。そこで『ロス男』のイメージがあった40歳でもぜんぜん不惑になり切れない人物・本間達也が出てきました。対となった男女と営業の女の子というトライアングルですね。

内田 盲目という設定が鍵となりますね。

平岡 盲目については不思議と以前から好奇心がありました。人生でいちばん読み返した文学作品が谷崎潤一郎の『春琴抄』だったのです。

内田 そうなんですね。納得と同時に驚きです。

平岡 『春琴抄』は短いですが文体が読みやすいですよね。盲目から一番遠い行為が読書ですのでチャレンジしたかったのです。40歳の男・本間以上にハンデを持ったよう子のロス感が半端なくて。生きづらい、感じやす過ぎるという性質を持ったよう子が人生の半ばから一歩ずつロスを埋めていく過程を描きたかったのです。さらに航路の違う男女二人が互いに不惑の年齢になって過去に共通の接点があったら面白いだろうなと思い、そこからストーリーが膨らみました。大きい意味では「ボーイミーツガール」の物語で何かできたらと。

内田 作中作がまた重要なポイントですね。

平岡 苦労しましたが作中作ならば一本でストーリーに埋め込めると気づき進めました。女子高生の一人称視点は僕がいちばんやってはいけない分野と自覚しているのですが(笑)。社長からは「違う文体で書け」とアドバイスされて本当に難しかったです。僕は子育てをしている主夫なので主婦の気持ちはよくわかるのですが。おじさんが考えている女子高生の実像なんて恥ずかしくてブレーキになっていました(笑)。

内田 平岡さんは嘘をつけない作家です(笑)。ちなみに「藍色」は洞察力を表して、嘘を見抜く力がある色だそうです。この物語は愛と藍の話だと感じました。

平岡 そうですか。エンパスにもつながりますし面白いですね。盲目と藍色、なんとなくイメージがつながりませんか。

内田 同感です。「藍を建てる」というエピソードもいいですね。藍色はグラデーションも繊細で人間の多様性にもつながるなど作品からは様々な気づきがあります。ところでタイトルはどのように決まったのでしょうか。

平岡 もちろん社長の鶴の一声です(笑)。神楽坂はマストでしたが。

内田 いいタイトルですね。「良かった」「ぼくもだよ」と感想を言い合うときに便利です(笑)。「人は食べたものと、読んだもので出来ている。」という冒頭も印象的です。

平岡 盲目の書評家という設定自体がアクロバットでした。そういうキャラを描き切れるかなと。よう子の自分の体を労わる丁寧な暮らしぶりを出したかったのです。確かに人間の体は食べたもので出来ているのですが、細胞は三か月で入れ替わるといいます。じゃあ読んだものはもっと深く人間の内部に残留するだろうと。編集者だった僕の個人的な経験も含めて本当の読書は25歳までに読んだものです。精神・人格も含めて食べること、読むことのバランスが大切なのです。

内田 キューピッド役の七瀬希子も素敵なキャラクターですね。

平岡 超優秀ですよね。でも出版社の女性にはこういう人がいると思います。空手もやっていて文武両道。ちゃんと本を読んでいて一冊一冊気持ちを込めて向かい合っていて。27歳と若いですが一番精神年齢の高い大人です。本に携わる人はこうあって欲しいという願望も込めました。あまりに女神過ぎるので彼女の相棒にトリックスターである編集者・近藤誠也を入れたのですが、彼がいちばん活き活きした存在です。こういう一風変わったインテリを書くのが好きなんですよね。

内田 具体的なお店の名前も出てきて聖地めぐりがしたくなりました。

平岡 銭湯や喫茶店など神楽坂は頻繁に行きましたね。打ち合わせで使ったお店もあれば一度も行けなかった高級店もあります(笑)。路地裏の古書店はこれまで読んだ本のイメージを融合して作りました。おしゃれ過ぎず古過ぎない、古民家風で本の趣味を具現化したような場所です。

作品から溢れ出てくる読書愛と業界の事情

内田 古書店主である本間の実家が新刊書店という設定にも理由がありますね。

平岡 『イシマル書房』からの流れで現在の出版界に対する提言を作品の中に潜ませたいと……。古本屋は新刊書店のアンチテーゼです。皆、刊行点数を減らせばいいと思っています。じっくり売ることのできない現実を見てきた本間が古本屋を始めることに意味があるのです。

内田 業界の本音がきっちり描かれている点も書店員の支持につながっています。

平岡 「新人を発掘するのが出版社の仕事だ」という言葉は当たり前過ぎて逆に忘れられているのではないかと思って敢えて書きました。

内田 作品の随所から読書愛があふれているのも読みどころです。作中に出てくる本はどうやって選びましたか。

平岡 7歳で失明し15歳で目が見えるようになったエリック・ホッファーの存在がずっと頭にありましたので『波止場日記』を二人の青春のキーブックにしました。日記は朗読するにも区切りやすくて最適ですし作品の展開にもぴったりです。

内田 『ゴッホの手紙』も印象的でした。日記と手紙は関連ありますね。

平岡 沈んだ時に暗い本を読みたくなりますよね。本間というキャラクターの性格やいま置かれた状況を象徴する本として差し込んだのですが、本間の性格がゴッホの書簡集によって作品の中で変化しました。本と人は互いに影響しあうのです。「人は読んだもので出来ている」はここにも表れています。『波止場日記』と『ゴッホの手紙』があって本間が言った「“地声”が聞こえてくる本が好きなのだ」という想いにもつながりました。作者である僕にとっても後から気がついた部分です。

内田 書いていく過程で物語が熟成されるイメージですね。白洲正子や志村ふくみも気になりましたが希子のイメージが「ちくま文庫の女」というのが間違いなさそうでいいです。

平岡 ですよね。本屋あるあるだと思います。悪い女性がいなそうです(笑)。ともあれもっと本について自然に語らう環境があるといいですね。普通に読書の話ができにくいいまの世の中が寂しいように感じます。

内田 この作品には平岡さん個人の読書遍歴が表れているのですか。

平岡 いや、作品のために選びました。初めて触れた本もあります。神楽坂でこの人物配置でこのキャラクターでと考えた末に見つけた本たちですね。「神楽坂の木曜日」だからこの本のセレクトです。「水曜日」だとまた違った本でした。週末ではない「木曜日」感、その雰囲気を大事にしました。

内田 プライベートをお聞きしますがストレス解消法はありますか?

平岡 腰痛対策でジムに行っていますがあまり趣味はないですね。本や映画は半分職業的興味で。たまに気晴らしを兼ねて一人で二、三日、温泉に行きます。温泉に入るとリフレッシュして書ける量が増えるのです。源泉かけ流しと日本酒の純米酒はパワーの源ですね。ネイチャーからパワーをもらっています。若い時は温泉なんて全然ありがたくなかったですけどね。あと十年後には演歌がいいとか言ってそうです(笑)。

内田 今後の刊行予定をお聞かせください。

平岡 地図会社のゼンリンをモデルとした企業小説『道をたずねる』が小学館から2021年の春に出ます。他には講談社で『ロス男』の次作を書いています。内容は『ぼくもだよ。』では突っ込み切れなかった夫婦の話となりそうです。

内田 楽しみですね。最後に読者の方にメッセージをお願いいたします。

平岡 『イシマル書房』に「本に生きて、本に死んだ人生だった」というセリフがあります。本を読むだけで一生をまとめられるのは尊いこと。人は本とともに生きている。読書そのものが人生のメインテーマであってもいいのです。人と世界をつなぐ読書体験をぜひ楽しんでいただけたらと思います。

内田 「本の力」が伝わるメッセージをありがとうございました。今すぐにいろんな方と本の話をしたくなりました。『ぼくもだよ。』の大ヒットと今後の作品も期待しています。

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平岡 陽明(ひらおか・ようめい)
1977年生まれ。出版社勤務を経て、2013年、「松田さんの181日」で第93回オール讀物新人賞を受賞。2016年初長篇となる『ライオンズ、1958。』(単行本、現在ハルキ文庫)を刊行し、各紙誌で大絶賛される。『ロス男』(講談社)が、2020年の吉川英治文学新人賞の候補になる。他の著書に『松田さんの181日』(文藝春秋)、『イシマル書房 編集部』(ハルキ文庫)がある。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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