女優・美村里江が紹介する、演技へのエネルギーを高めてくれた本3冊

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  • 毒母ですが、なにか
  • 一日江戸人
  • ひとり暮らし

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文庫はモバイルバッテリー

[レビュアー] 美村里江(女優、エッセイスト)

フジテレビの月9ドラマ史上初のヒロイン公募オーディションにて、1万人以上の応募者の中から選ばれ、女優としてデビューした美村里江さん。以後、『着信アリ2』『銭ゲバ』『梅ちゃん先生』『後妻業の女』『西郷どん』などに出演し、活躍の場を広げる美村さんが、演技へのエネルギーを高めてくれた新潮文庫3冊を紹介してくれた。

美村里江・評「文庫はモバイルバッテリー」

「役者は待つのも仕事」という言葉があるくらい、撮影現場では待ち時間が多い。過去最長は、とある特殊な撮影で17時間。5、6時間はザラである。私はこれをとてもラッキーと思っていて、いつも本を読んでいる。

 発売されたばかりのハードカバー本も勿論読むが、現場に持ち込む荷物は小さい方がいいので、文庫を連れて行く回数が圧倒的に多い。その中でも、読んだ後、それぞれ別の理由で演技へのエネルギーを高めてくれた3冊を挙げたい。

 山口恵以子『毒母ですが、なにか』は不穏なタイトルに惹かれ購入した一冊。

 前半は「毒母の生成過程」である。美しく不幸な生い立ちの女性主人公が、幸せな家庭に執着して徐々にバランスを崩していく……。こう書くと類似本は多々ありそうだが、この過程がとても丁寧に描かれていて、誰もが理解できる感情の流れに沿っている。

「理解できる」=自分にも毒母の要素があるのではないか……と心配になってくるくらい、リアルに、ゆっくりと崩壊していく。さらに主人公が娘に手を上げだし、「この先は読むのが辛いかな」と思いはじめる頃、絶妙なタイミングで被害者である娘のターンに切り替わる。

 終わり方もいい。表現として振り切っているのだが、生身の人間の可笑しみと哀しさが詰まっていて、一頻り笑った後にしんみり。

 この数日前、ちょうど監督と「バッシングされそうな難しいテーマの時こそ、フルスロットルの演技が必要ですよね」という会話をした後だったので、余計参考になった。どんな表現もエンタメに昇華できるという確信は、役者に力を与えてくれるのだ。

 次に、何度も繰り返し読んでいる杉浦日向子『一日江戸人』。

 日本で制作される時代劇は、江戸時代のものが圧倒的に多い。泰平の時代は事件も人情も御家騒動もなんでもござれ、ドラマを作りやすいらしい。時代劇の撮影前にこの本を読み直すと、江戸がどんな町で、どんな風に人々が暮らしていたか、当時の空気が体に染み込んでくる感じがする。

 全編を可愛らしいイラストが誘導してくれるが、その情報量たるや圧倒的。折角なので一つ小ネタをご紹介しよう。

「垢抜ける」の語源は、1日4、5回はザラの入浴好きな江戸っ子達の肌がパサパサだったことに因るそうだ。また、公衆浴場は狭く暗かったので、今時期の寒い中では「ひえもんでござる(体が冷えているので当たったらごめんなさいね)」と言いながら湯船に入ったという。冬の京都時代劇撮影で冷えて帰った後など、宿泊ホテルの個室風呂でもこれに倣うと江戸っ子の遊び心で心まで温まってくる。

 杉浦さんの江戸への愛情が、端から端まで溢れている一冊。読んでいるこちらにも飛び火し、演技の上でも江戸っ子になれる撮影日がさらに待ち遠しくなる。

 最後に、昔はあまり読まなかったエリアの一冊、谷川俊太郎『ひとり暮らし』。

 本に関しては雑食だが、詩歌関係は遠い世界だった……のが、自身の歌集制作が決まり、30を過ぎて読むようになった。

 未開のジャンルに改めて意識的に踏み込む時、いつも「有名どころの凄さ」に感激する。こう書いてしまうと薄っぺらいが、やはり有名なのには理由があるのだ。谷川さんの詩は教科書で読んでいたし、エッセイも何冊も買っている。しかし、内容を「詩歌を作るための思考」として読むとまた違う。

 例えばこんな風だ。

「君は善人すぎるよ。善人すぎるのも時には悪の一種だ。」「死生観というようなものは、もっても無駄である。観念に過ぎないからだ。観念通りに死ぬことが出来ないのが現代である。」

 既知のようでいて、ここまで明確な言葉で考えたことのなかった内容が続く。それらを読んでいくうちに、「感性」と呼ばれるものは実は徹底した「論理」が根っこに無いと成り立たない、ということに気づかされる。

 一つの世界に没頭してきた人間だけが放つ爽やかさ。私も短歌だけでなく、自分の本職に論理を持つぞと、新たな空気を吸い込んだ。

 このような良書達が、待ち時間も本番中も、私に熱量を与えてくれている。小さいのに頼もしい、私のモバイルバッテリーだ。

※[私の好きな新潮文庫]文庫はモバイルバッテリー――美村里江 「波」2021年2月号より

新潮社 波
2021年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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