伊東潤×乃至政彦対談(前編)現段階の集大成『謙信越山』誕生秘話

対談・鼎談

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謙信越山

『謙信越山』

著者
乃至 政彦 [著]
出版社
JBpress
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784847070143
発売日
2021/02/25
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

伊東潤×乃至政彦対談(前編)現段階の集大成『謙信越山』誕生秘話

[文] JBpress

歴史作家の伊東潤と歴史家の乃至政彦。伊東が乃至の才能を見出し、共著を出版してから今まで交流があり、乃至の新刊『謙信越山』にも、伊東が関わっている。前編では二人の出会いからその経緯、伊東が読んだ『謙信越山』評まで、両者に貴重な話を紹介する。

『謙信越山』の名付け親

――歴史ファンの皆さんのなかにはすでにご存じの方も多いかもしれませんが、伊東先生と乃至先生のご関係について、あらためておふたりから教えていただけますか?

伊東:皆さんが期待されるほどドラマチックなものではなく、最初はmixiで知り合ったんですよね。

乃至:今から11~12年くらい前だったと思います。

伊東:当時、乃至君が上杉三郎景虎【※1】のコミュニティをもっていて、読んでみたらとても素晴らしい内容で。こういうのを書ける人が在野にもいると驚き、声をかけさせていただいたのが最初です。それで共著で本を出そうという話になり、出版社に持ち込んだら、とんとん拍子で企画が進んだというわけです。

乃至:あのときのことには、忘れがたいものがありますね。伊東先生は、よく一緒にやりましょうとおっしゃってくださったと思います。それが私にとっては最初の著作となる『関東戦国史と御館の乱』(洋泉社歴史新書y)になりました。

――乃至先生が『謙信越山』を書きはじめたのも、伊東先生からタイトルをいただいたことがきっかけと聞きましたが?

伊東:私が『吹けよ風、呼べよ嵐』(祥伝社)を書いた頃だったですね?

乃至:そうです。作品中に描かれている川中島合戦についてお話をしていると、『謙信越山』というタイトルで、ぜひ書いてみるべきだと背中を押していただいたことがすべてのはじまりでした。それからしばらくして、編集の方から新しい連載のネタがありませんかといわれたので、こんなのはどうでしょうかと提案したことから、実際に書きはじめるようになったんです。

伊東:越後上杉氏を調べた方ならご存じと思うんですが、これまで上杉謙信と越後上杉氏の研究はすごく手薄だったんです。僕も『北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録』を書いたとき、良質な史料本を探しましたが自治体史以外には見つからなかった。乃至君や今福匡さんとかが出てくるまでは、上杉氏関連で手にとりやすい内容の研究本は、ほとんどなかったと思います。

乃至:武将としての人気の割には手薄でしたよね。もちろん研究者はいましたが、一般向けとなると目立ったものはとても少なかったはずです。

――では、今回、乃至先生が『謙信越山』を出版すると聞いて、伊東先生にも思うところがあったのでは?

伊東:私の見込んだ才能が、期待にこたえてくれていることがうれしいです。歴史教師の経験すらない乃至君のような人が在野の研究家として画期的な作品を次々と上梓することで、歴史好きの中には「僕にもできるかも」と思う方もいるかもしれませんし、研究という分野が一般人にも開放されたと思います。

乃至:ありがとうございます。こちらも「あの伊東潤に見出された」という経歴が、とても弾みになっています。

定説であってもスルーせず

――実際に『謙信越山』を読まれて、どんなご感想をもたれましたか?

伊東:乃至君のいいところは、偉い先生の定説であっても、少しでも引っかかるところがあればスルーせず、史料を丹念に調べて自分なりの解釈を打ち出せるところだと思います。たとえば『謙信越山』でも、「謙信が関東へ出陣したのは雑兵たちを食わせるための人狩り(誘拐)や乱取り(略奪)を目的とした出稼ぎだった」という説に対して、自分なりの検証をしている。その根拠とされている人身売買を許可したとされる史料を調べなおし、反証しているところなどはさすがです。

――『謙信越山』では、近衞前嗣(前久)が東国で摂家将軍になろうとしていたという説が唱えられていますが、これも資料を調べた成果ということでしょうか?

乃至:前嗣は、当時、まだ景虎と名乗っていた謙信とともに越山し、景虎が越後に帰国したあとも古河城に残りました。その理由はこれまで明らかにされていませんでしたが、この時代に近い年代に編纂された資料を調べていくと、前嗣が摂家将軍になろうとしていたと考えられる部分が見つかるんです。例えば『甲陽軍鑑』を筆頭にそのように明記する文献は多い。ただ、アカデミズムでは特に根拠もなく、荒唐無稽な説としてなんとなく斥けられていた。ですが、そもそもアカデミズムに属している研究者の方にすれば荒唐無稽な説かもしれませんが、当時、前嗣とその周辺で起こっていることはすべて荒唐無稽なんですよね。

伊東:たしかに。

乃至:謙信が関東管領の山内上杉氏の家督を譲られたことや、関白の職にあった前嗣が京を離れてしまったことは、当時の常識としてはあり得ないことでした。こうした異常事態を解釈するには、それを引き起こした人たちが内に秘めていた異常性を直視しなければいけない。そして、この異常な人たちが何をやろうとしていたのか、資料をもとに考えていくと、この構図で解釈するのが妥当という結論に至ったわけです。

極めてユニークな「関東戦国史」

――逆に、伊東先生が『謙信越山』を読まれて、こうした方がよかったのではと思った部分はありましたか?

伊東:本書の特徴としては、必ずしも時系列にこだわっていないところですね。この辺りが少しなじみにくいかもしれません。それでも巻頭に年表とそれぞれのトピックがどこに書かれているかが一覧表になっているので、親切な設計です。この一覧表は作成するのに苦労したんじゃないですか

乃至:たしかに、そうですね。

伊東:一例を挙げれば、何かの番組で「戦国最弱」と言われて注目を浴びた小田氏治【※2】をクローズアップし、その名誉を回復したりとか、弘治海老ヶ島合戦【※3】を取り上げたりとか、関東の戦国史を語る上で極めてユニークだと思います。

乃至:おそれいります。関東戦国史は奥深く、果てがないのが魅力ですね。

伊東:乃至君による上杉氏研究はこれからも続くんでしょうが、『謙信越山』は、現段階で集大成的な位置づけとなる作品だと思います。(後編につづく)

【※1】上杉三郎景虎
北条氏康の7男。上杉謙信の養子となり、上杉景虎を名乗る。謙信の没後、同じく養子の上杉景勝と家督を争った御館の乱に敗北し、自害した。

【※2】小田氏治
常陸国(茨城県)の武将。居城である小田城を何度も落城させたことから「戦国最弱」と呼ばれる一方で「常陸の不死鳥」とも評される。

【※3】弘治海老ヶ島合戦
佐竹義昭と結んだ小田氏治と、北条氏康と結んだ結城政勝による合戦。小田方の大敗に終わり、一時は居城の小田城を奪われた。

JBpress
2021年2月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

JBpress

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