『田舎のポルシェ』
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知らない者同士が旅をするロード・ノヴェル3篇
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
旅をする。心が震える。
篠田節子『田舎のポルシェ』は、三篇を収めた著者の最新作品集だ。巻頭の表題作では、東京都生まれだが今は岐阜市内に住んでいる増島翠が、実家から百五十キロもの米を運ぶことになる。同僚が車を出してくれる知り合いを紹介してくれたのはいいが、翠の前に現れた男・瀬沼は、坊主頭に紫色のツナギという怪しい風体、しかも乗ってきたのは軽トラックだった。「リアエンジンリアドライブ」だから「田舎のポルシェだ」と瀬沼は嘯く。
お互いのことをそれほどよく知らない同士が車に乗り、長い道のりを旅する。それが収録作の共通点である。ロード・ノヴェルであり相棒小説でもある。表題作は関東地方に台風が接近しているという設定になっており、そのために二人の前途には苦難が続く。文字通り山あり谷ありの道中で、無事に戻れるのだろうかと読者も気を揉むことになる。
二作目の「ボルボ」は、定年を迎えて暇な境遇の男二人が北海道旅行に出る物語である。車の持ち主である伊能が二十年乗ったボルボを廃棄処分にする前の記念旅行なのだが、それに付き合った斎藤にも旅に出たい理由があったことが後に判る。彼に限らず、本書の登場人物たちは皆何かしらの秘密を抱えて旅に出ているのである。旅先のどこかでそれが明かされた瞬間、物語の中に小さな灯が点され、静かな共感が生まれる。
最後の「ロケバスアリア」は新型コロナウイルス流行による閉塞感を打ち破るように、一人の女性が夢を叶えるための旅をする話だ。
各篇に令和の世相が描き込まれているのも本書の特徴で、表題作では女性を縛る因襲の根深さ、「ボルボ」では時代の変遷に取り残された者の悲哀が浮かび上がってくる。車で旅をすることで日常が小さな冒険の時間に変わる。その中では、普段は不可視領域にあるものも見えるようになるのだ。物語の魔法を楽しもう。