『そのひと皿にめぐりあうとき』
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飢餓と飽食、ふたつの時代の青春 福澤徹三
[レビュアー] 福澤徹三(作家)
主人公は十七歳のふたり。一九四六年、戦争で両親と住まいを失った里見滋(さとみしげる)、そして二〇二〇年、高校三年生の洲崎駿(すざきしゅん)である。拙著『そのひと皿にめぐりあうとき』は、東京を舞台にふたりの物語が並行して進んでいく。
一九四六年の東京と二〇二〇年の東京は、いうまでもなくまったく様相が異なる。前者は飢えと貧困と病が蔓延(まんえん)し、後者は繁栄と飽食を享受している。滋が焦土をさまよいながら生きるすべを模索するのに対して、駿は何不自由ない高校生活を送っていた。ところが現在も続く新型コロナウイルスの感染拡大によって、駿の日常に亀裂が生じる。父の勤務先が倒産したのをきっかけに平穏だった暮らしは崩壊していく。
拙著では飢餓の時代と飽食の時代を象徴する「食」に焦点をあてて、ふたりの青春を描いた。七十四年の時をへだてても、ふたつの時代に通底するものがある。それは、ひとの心の美しさと醜さだ。食べものも住まいもないのに他者を思いやり、希望を失わないひとびと。食べものは捨てるほどあり冷暖房のきいた家で暮らしながらも他者を疎外し、絶望するひとびと。
人間は危機に瀕(ひん)したとき、本性が浮き彫りになる。このたびのコロナ禍ではマスク警察、自粛警察、帰省警察、時短警察といった言葉が生まれたように、ゼロリスクを盾(たて)に正義を振りかざすひとびとが増えている。
ネットやSNSでもコロナ禍をめぐる論争は過激さを増し、社会を分断しかねない勢いだ。自分が正義なのだから、従わない者は悪だと決めつける。一方的な同調圧力は、戦争非協力者を糾弾(きゅうだん)した戦時中の憲兵や特高警察、大日本国防婦人会を彷彿(ほうふつ)とさせる。
コロナ禍がどれだけ続こうと、わが国は終戦直後よりはるかに恵まれている。先人たちは、なにもない焼跡から這いあがった。われわれもこの苦境を必ず乗り越えられるという思いを拙著にこめた。