集英社文庫『尼子姫十勇士』諸田玲子 刊行記念エッセイ「出雲の神々の采配に身をゆだねて」

エッセイ

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

尼子姫十勇士

『尼子姫十勇士』

著者
諸田 玲子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087443066
発売日
2021/10/20
価格
1,210円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

集英社文庫『尼子姫十勇士』諸田玲子 刊行記念エッセイ「出雲の神々の采配に身をゆだねて」

[レビュアー] 諸田玲子(作家)

出雲の神々の采配に身をゆだねて

 尼子(あまご)というコトバには哀しくも魅惑的な響きがある――と、かねてより思っていた。滅亡した一族への判官びいきにも似た思い入れや、領国が出雲(いずも)という神話にかかわりの深い土地であること、真田十勇士ならぬ尼子十勇士が知られていることなど、いくつかの要素があるのだけれと、だからといって、それ以上の関心は抱いていなかった。その訳は勇士の筆頭たる山中鹿介(やまなかしかのすけ)にある。かつては講談でも大人気、戦前は教科書にも載るほど不屈の傑物で、軍からアジテーターのような持ち上げられ方をしていたのが気にくわなかった。鹿介のせいではないのにゴメンナサイ。
 そんな尼子を書いてみる気になったのは、ひとえに編集者諸氏のおかげである。なじみのなかった出雲(つまり島根県ですね)へ取材に行ってみようということになり、そのとたん、私の中で眠っていた尼子への興味がむくむくと目を覚ました。とはいえ、事前に史料を集めて読みあさるにつれて暗澹(あんたん)たる気分になった。あっちの城こっちの城と攻防につぐ攻防で合戦についてはやたらと詳細だけれど、肝心の十勇士については虚々実々、長い歳月にいくつもの物語が生まれているだけあって、混沌とした膨大な逸話から真実――はムリとしても小説の核になる拠り所――を選定するのがむずかしい。
 といって悩んでいてもしかたがない。エイッと思って出雲へ出かけた。ここでも編集者諸氏の頼もしい助勢がなければ、とうてい本著は生まれなかっただろう。今や朽ちかけた道標があるだけの城跡までことごとくまわり、月山富田城(がつさんとだじよう)や出雲大社、石見銀山(いわみぎんざん)や日御碕神社(ひのみさきじんじや)はいうにおよばず、大蛇のごとき斐伊川(ひいかわ)や温泉津(ゆのつ)の神楽(かぐら)舞、黄泉国(よもつくに)の入口との伝承がある猪目(いのめ)洞窟まで探し当てた。海岸沿いにぽっかりと空いた洞(うろ)へ足をふみいれたときの妖しくも神々しい威圧感……黄泉国へ堕(お)ちこんでしまいそうだった。海猫の島を見晴るかす日御碕神社と尼子の本城である月山富田城は出雲国の東西の端にあり、はるかに離れているのに、なぜか双方が呼び合っているような……。神話と伝承、歴史と自然が融合した地に身を置き、無心に自由に思いをめぐらせることができたのは幸運だった。
 私は平安時代から昭和までを舞台に八十冊ほど本を書かせてもらったが、伝奇小説は一冊もない。本書も伝奇小説を書くつもりで書いたわけではなかった。というより、今も私の中ではファンタジーとか伝奇とかジャンル分けをすることに少々抵抗がある。尼子一族の歴史をひもとき、その興亡の足跡をていねいにたどってゆけば、自ずとここへ着地すると自分では信じているからだ。尼子の領国は神々の住まう地だった。土壌にも岩石にも年輪を経た樹木にも、数多(あまた)の合戦の雄叫(おたけ)びや血飛沫(ちしぶき)、歓喜や苦悶や怨念と共に、神々の叡智がしみこんでいる。
 それにしても、尼子の武士たちはなぜ、飽きもせずに戦うのか。城を奪われ、城主も捕らわれの身、皆がちりぢりになって財力も兵力も失った。中には新たな仕官口を見つけた者もいる。それなのに、勝ち目がほとんどないとわかっていても、〈尼子再興〉のひとことに胸を躍らせ、血を熱く滾(たぎ)らせて馳せ参じる。敗け戦にもひるまない。本書では第一次の再興戦を描いているが、実際にはこのあともまだ性懲りもなく出陣している。 なにが彼らを戦にかりたてるのか。命を棄ててまで戦いに挑むのはなぜだろう。
 尼子の宿敵、毛利(もうり)にいったんは寝返りながらも尼子に戻った者たちもいる。毛利に比べて寛容なところはあったかもしれないが、尼子がとりたてて善政を敷いていたわけでも、城主が人徳者だったわけでもない。尼子一族の歴史をみれば、卑劣な裏切りや容赦のない制裁など目を覆うようなことばかりだ。それでも〈尼子再興〉と耳にしただけで、ある者は鍬(くわ)や鋤(すき)を放り出し、ある者は愛しい女人に別れを告げて駆けつける。
 みんな、尼子が好きなのだ。理屈ではなく。それこそが人智を超えた神々の采配かもしれない。荒ぶる魂が荒ぶる神々に呼応するように。
 本書の舞台となった時代は、先の応仁の乱で都が荒廃していた。こののち、織田信長が頭角をあらわし、豊臣秀吉や徳川家康が天下を統一してゆく。これはその狭間の、生きるものすべてが疲弊した時代に、涙ぐましくも戦に突き進む(現代もちっとも変わらないけれど)憐れな男たちと、彼らを自在に操るしたたかで逞しい女たちの物語である。
 私自身、今は出雲の神々の采配に身をゆだねて書いたような気がしている。ふしぎな力に導かれて、なにが飛び出すか最後までわからなかった。読者の皆様も、時空を超えて、愛すべき十勇士と一緒に壮絶ながらも痛快な〈尼子再興〉の旅に出かけていただければ、と願っている。

諸田玲子
もろた・れいこ●作家。
1954年静岡県生まれ。1996年「眩惑」でデビュー。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、18年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。「お鳥見女房」シリーズ、「狸穴あいあい坂」シリーズ等著書多数。

青春と読書
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク