『李王家の縁談』
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『矢印』
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[本の森 恋愛・青春]『李王家の縁談』林真理子/『矢印』松尾スズキ
[レビュアー] 高頭佐和子(書店員。本屋大賞実行委員)
林真理子氏『李王家の縁談』(文藝春秋)には、皇族という特殊な立場から見た明治から戦後までの情勢と人間模様が描かれている。実在する高貴な人々の登場と、豪華な調度品や装身具に、気分を高揚させつつ読んだ。
主人公は、美貌と行動力をあわせ持つ聡明な宮家の妃・梨本宮伊都子である。大正四年、伊都子は皇太子妃が自分の姪である久邇宮良子に内定したと知る。有力候補の一人であった長女・方子が「選ばれなかった」と世間から言われないために、急いで嫁ぎ先を決めようとする。宮家に釣り合う年齢の男子で方子に見合う者はいない。かといって身分が下の華族では娘がみじめだ。そこで思いついたのが、日本に留学中の朝鮮王朝王世子・李垠に嫁がせることである。図らずもこれは、日朝融和に役立つ縁談でもあった。伊都子は、速攻関係者にアプローチし奔走する。泣く娘と躊躇する夫を説き伏せ、いくつもの障壁を乗り越え、婚約が調うが……。
その後彼らが辿る運命を知る戦後生まれの庶民から見ると、複雑な心境になる決断も多いが、目標に向かって突き進む伊都子の実行力には恐れ入るばかりだ。皇族としての揺るぎないプライドと使命感には、思わず平伏したくなるような迫力がある。閉ざされた人間関係の中で起きるいくつもの縁談を通して、時代の波に翻弄された皇族や華族の愛と嫉妬と連帯、信念と諦念が詳細に描かれていく。
月日が流れ、世のあり方も人の生き方も大きく変化した。皇室もそれに合わせて変わってきたことと、人生をかけて支えてきた人々がいて守られてきたということを、深く感じ入る一冊である。
松尾スズキ氏『矢印』(文藝春秋)は、壊れた人間たちが繰り広げる滑稽で切ない物語だ。主人公は、故郷から逃げるように上京し、天才放送作家に弟子入りした青年である。尊敬する師匠は、会議中も家にいる時も常にジンを呑んでいる。このままでは良くないと誰もが思いつつも、止める者はいない。ある日連絡が取れなくなり、心配した主人公が家にいくと、師匠は首を吊って死んでいる。アルコール依存症から立ち直ったばかりの同僚に唆されて、師匠の家から大金を持ち出した主人公は、出会ったばかりの離婚したての女・スミレにプロポーズしマンションに転がりこむ。酒は飲んだことがないという彼女にアルコールを勧め続け、二人とも派手に転落していく。その後のそれぞれの壊れっぷりは奇抜で、呆れ笑いつつも背筋が寒くなった。
なぜ人は、自分と同じ種類の闇を持った人間に惹かれてしまうのだろう?「俺より酔っ払ってくれている人間」を必要としてしまう主人公の姿に、苦い記憶がよみがえりチクチクと心が痛む。荒んだ日々に変化をもたらすのは、師匠の手首にあった矢印の刺青の謎である。痛みは最後まで残るが、読後感はやけに穏やかだ。