アジアを知れば,日本がわかる!『リーディングス アジアの家族と親密圏』

レビュー

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  • 家族イデオロギー リーディングス アジアの家族と親密圏 第1巻
  • 結婚とケア  リーディングス アジアの家族と親密圏 第2巻
  • セクシュアリティとジェンダー  リーディングス アジアの家族と親密圏 第3巻

書籍情報:openBD

アジアを知れば,日本がわかる!『リーディングス アジアの家族と親密圏』

[レビュアー] 落合恵美子(京都大学文学研究科教授)

アジアの著者を招いたウェビナーシリーズ

 本シリーズの刊行と合わせて、「アジアジェンダー研究ウェビナーシリーズ」というオンライン国際セミナーを開始した。時期的にはややフライングだが、今年1月に第1回「家父長制について――南アジアのジェンダー研究から」、3月に第2回「近代国家形成と家名――タイと日本の比較から」を開催した。どちらの回も、本書に収録した論文の著者たちの講演の後、日本の研究者たちとの対話になるように企画した。「著作を読めるようになったら、次は出会って話したい」という本書編集中から抱いていた夢を、新型コロナのせいで急速に進化したオンラインスキルにより、一気に実現することができた。「塞翁が馬」というところだろうか。

 第1回では、インドのウマ・チャクラバルティさんが、カースト制度と父系制が分かちがたく結合した南アジアの家父長制の構造を鮮やかに解き明かされた。インドのジェンダー研究では必ず引用されるという、もはや古典となった大御所の学説のエッセンスを、張りのあるご本人の肉声でうかがえたのは贅沢な体験だった。これに対して、中国、イスラム圏、ヨーロッパなど、異なる「家父長制的」文明圏を研究する日本人研究者たちがコメントして意見交換を行った。たとえば小浜正子さんは、身分制が緩んでから家父長制が強まったとされる中国の例をあげ、身分制と家父長制との関係がインドと中国では反対ではないかという興味深い問題提起をされた。フェミニズムがしばしばマジックワードで括ってしまう「家父長制」の多様性に切り込む、ひとつの手掛かりが示されたと感じた。

 第2回では、タイのタナイ・チャルーンクンさんが、ラーマ6世による「家名の発明」が近代国家タイの国民形成に果たした役割について、古文書館でのご自身の研究成果を紹介された。「家名」をもつことが「タイ人」の定義となったのと同時に、身分による国民の分類が可視化されたという。本シリーズ第1巻『家族イデオロギー』には、タナイさんの論文だけでなく、ラーマ6世ご本人の論文「家名(ナームサクン)と姓(セー)の比較」も翻訳して収録してある。これが日本語で読めるようにしたのは画期的だとタイ研究者に褒めていただいた。タイトルからわかるように、中国の姓(タイでは南方の中国語にならい「セー」と発音するそうだ)のような「クラン名(氏族名)」とはまったく異なる「家名」(と本書では訳したが「家族名」としてもよいかもしれない)を法制化するという明確な自覚を、ラーマ6世はもっていた。タナイさんの講演の後に報告された坂田聡さんが指摘されたように、今日の日本では、「氏」「姓」と「苗字」(家名となった)という歴史的由来の全く異なる2つのタイプがすっかり混同されてしまっている。実質的には後者の流れを引きながら、法律では「氏」と呼んでいる。百年前のタイ国王を見習わねばならない。

 このように近代国家となったタイと日本は、どちらも(「氏」や「姓」ではない)「家名」をすべての国民に名乗らせたという明確な共通点があるが、ジェンダーについても類似性がある。タイでは双系的な親族組織が優勢であり妻方居住が一般的であるにも拘わらず、家名は男系継承にするとラーマ6世が決めてしまった。最初に家名を登録するのは男性でなければいけないとしたので、家族や近い親族に男性がいない女性が「これではタイ国民になれない」と役所に掛け合った事例をタナイさんが紹介された。ではなぜタイの家名は男系継承とされたのか、というわたしの質問に、タナイさんは「西洋化した国をつくりたいと思ったからだろう」と答えた。「近代化」は「西洋化」であり親族構造の(疑似)「男系化」を強める。日本では婿養子という実質的な女系継承の抜け道も残されたが、第二次大戦後は婿養子が減って、「男系化」がいっそう進んだ。96%は夫側を選ぶ夫婦同姓という日本の現状が「伝統」だと思い込んでいる方も少なくないようだが、タイの例とよく見比べて、これが「西洋化」であることに目を開いてほしい。そもそも同「姓」や同「氏」などという不正確な言葉遣いをしているあたりから、日本の「伝統」理解のこじらせぶりを解きほぐしていかねばならない。

 なお、ウェビナーシリーズの動画は比較ジェンダー史研究会のサイトより公開している(https://ch-gender.jp/wp/?page_id=18794)。

アジアにおける学術的共同のための基盤形成

 冒頭からウェビナーシリーズの紹介に紙数を割かせていただいたのは、本シリーズ出版のねらいをこれ以上よくお伝えすることはできないと思ったからである。出版して終わりではない。出版したら、使っていただきたい。アジアの研究者たちとの直接対話の土台として。そこから、アジアの多様性の構造も、日本の真実も見えてくる。

 「刊行の趣旨」に書かせていただいたように、本シリーズは、「アジア社会の学術的および知的継承財産のキーテクストともいうべき重要で影響力の大きい著作を集め、翻訳し、人々の手に届くものにしようという」「アジアの知的継承財産」プロジェクトの最初の実現として始まった。9つのアジア社会(タイ、韓国、インド、ベトナム、日本、フィリピン、台湾、中国、インドネシア)の研究者が国際編集委員会をつくり、各国の国内学会で古典とされるような文献や影響力の大きい現代の文献をリストアップし、その要旨と意義、学問的面白さを紹介し合い、じっくり討議して、翻訳し共有すべきテキストを選択していった。多くの興味深い業績について学んだので、そのほんの一部を選択するのは身を切られる思いだったが、英語版(Sage社刊のAsian Families and Intimacies)56章、日本語版(本シリーズ)65章という分量が労力的にも予算的にも限界であった。

 申し遅れたが、これらの出版につながった国際プロジェクトは、文部科学省から助成を受けて実施したグローバルCOE「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」(京都大学、代表:落合恵美子)のもとで、2008年度に出発した。拠点名にもあるように、この分野に関するアジア地域における共同研究を活性化するハブとなることを目指したCOEであったが、そもそもこの地域における共同研究を成り立たせるためには知的インフラが決定的に不足しているという現実から出発せざるをえなかった。まずお互いの社会での学術的常識や研究状況を知らない。他のアジア社会について知るには英語文献を通して学ぶのが今は普通だが、各国内の重要文献がすべて英語になっているとは限らず、英語圏の関心に合うものが選択的に紹介されているだけである。

 そこでアジア各国の言語で書かれた有名論文を集め、互いに読めるようにすることで、「内側からのパースペクティブ」を直接に共有する道を拓こうと考えた。それが「アジアの知的継承財産」プロジェクトであり、その最初の実現が本書と英書のAsian Families and Intimaciesである。

 アジアでの共同研究を可能にするためには、さらにその上に、統一された基準により比較可能な情報を収集するアジア共通データベースが必要だと考えた。ヨーロッパでは簡便かつ信頼できるEurostatの成立により比較研究が飛躍的に発達したように、アジアでも政府が協力してAsiastatを作るよう、日本学術会議を通して要望した。

 しかしその実現を待つわけにはいかないので、すぐに利用できるアジア横断数量調査を自分たちで実施することにした。その最初の実現が、COEのテーマに関係する「アジア家族比較調査(Comparative Asian Family Survey=CAFS)」である(https://sites.google.com/view/cafshomepage/)。

 少なくともこれらの学術的共通基盤があってこそ、アジア地域における実のある共同研究が可能になると考える。わたしたちは「親密圏と公共圏」というテーマに関係する範囲での基盤形成を実現したにすぎないので、もしもこうした構想に共鳴してくださる方がいらしたら、それぞれの分野で同様のプロジェクトにチャレンジしていただけたら嬉しい。

日本は東南アジアだ!

 このように本シリーズは、これを土台として、ウェビナーですでに繰り広げられているような越境的な対話が生まれることを期待して編まれた。

 たとえば移民に関してなら、ベトナム・韓国・台湾の間の国際結婚(第2巻)、出稼ぎ妻に取り残されたフィリピンの夫の男性性の作り直し(第3巻)、「外国人花嫁」のエンパワメントの実践(第3巻)を組み合わせることで、送り出し社会と受け入れ社会の対話を疑似体験できる。近代とジェンダーに関してなら、インドネシアの国家イブイズム(第1巻)と良妻賢母思想(第3巻)、また韓国とフィリピンの植民地近代(第3巻)を対比できる。男性による暴力を正当化する論理(第3巻)、ゲイとレズビアン(第3巻)、ケアの多様性(第2巻)についても、アジアのさまざまな社会の視点から見直してみてほしい。

 ではそうしたアジアの文脈に位置づけると、日本はどのように見えるだろうか。ひとことで言えば「日本は東南アジアだ!」というのが、わたしの気づきである。唐突に思われるかもしれないが、第2回ウェビナーで浮き彫りになったように、タイと日本は「姓」のような「クラン名」を確立しなかった社会であり、むしろ近代になって「家名」が制度化された。中国やインドのような父系制親族集団が確立した社会と、双系的な親族関係が優勢な社会とを区別するなら、日本は東南アジアの諸社会と共に後者に属する。その後、前者のような社会で生まれた文明が後者の社会を変容させ、さらに近代化が疑似父系化をもたらした。

 このように整理すると、日本のこじれた伝統を解きほぐせるように思うのだが、いかがだろうか。もっともこれはわたしの読みなので、異なる読みの可能性に本シリーズのテキストは開かれている。含蓄の深い各国の著名論文をご自分で確かめてみていただけたら幸いである。

有斐閣 書斎の窓
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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