『スペードのクイーン/ベールキン物語』
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カードゲーム必勝法を知った若者の物語
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「賭け事」です
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賭け事と縁のない地道な人生を送ってきた者から見ると、ギャンブルに熱を上げる人々の姿というのはなかなか不可思議なものだ。
とりわけロシア小説に登場するギャンブラーたちには恐れ入る。ドストエフスキーがルーレット賭博にはまった経験をなまなましく綴った『賭博者』。青年貴族が「当時の勤務貴族の年俸の何十倍にも当たる」金額(訳者・望月哲男の解説)をカード賭博で一晩ですってしまうトルストイ『戦争と平和』。想像を絶した深淵を見せつける。
プーシキンの『スペードのクイーン』はそうした伝統の嚆矢をなす。おそらくあらゆるギャンブル狂は、必勝の一手を編み出すことを夢見たり、そんな一手を掴んだと瞬時、錯覚したりするものなのではないか。これはふとした“なりゆき”からカードゲームの必勝法を知った若者の物語だ。
「ナポレオンの横顔とメフィストフェレスの心を備えた男」とある。19世紀西洋の青年がたぎらせる野望を具現した人物なのだ。しかし作品は、野望の果ての破滅こそが究極の目標だと示唆するようでもある。
主人公が幻想か現実か判然としない境地に誘われるさまを描き出す筆致が鮮やかだ。
プーシキン伝を繙くと、この作品は当時のロシア社会でたちまち反響を呼び、主人公と同じカードに張る者が続出したという。それで大勝ちしたケースは伝えられていないようだから、やはりフィクションと現実の混同は慎むべきだろう。