言語の起源はジェスチャーだった? 『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』

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言語はこうして生まれる

『言語はこうして生まれる』

著者
モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784105073114
発売日
2022/11/24
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

言語の起源はジェスチャーだった?

[レビュアー] 仲野徹(生命科学者・大阪大教授)

仲野徹・評「言語の起源はジェスチャーだった?」

 我々はみな天才的な能力を持っているのかもしれない。それは言語だ。たとえば、人との会話。発される「音」から瞬時に意味を抽出し、相手の話が終わりそうなタイミングにはすでに自分の話す内容を組み立てている。日々あたりまえにおこなっているが、考えてみればすごいことではないか。さらに、言語を通じてさまざまなことを学習できる。それは、言語が相当に複雑であるからこそだ。

 人類の繁栄は、言語によるコミュニケーションが可能であるためだといっても過言ではない。だから、言語がいかに生まれたかというのは、人類を人類たらしめるのはいったい何かともいえる大命題だ。しかし、これは超のつく難問である。言語に化石などありはしないのだから。

 そこへ「普遍文法」という概念を持ち込んだのが「20世紀の知の巨人」ノーム・チョムスキーだ。「人間の遺伝的青写真には、言語を支配する抽象的な数学的原理が内包」されているという革命的なアイデアは、言語学を「文化系学問の範疇から引っこ抜いて」、「生物学の一分野と見なす」というとんでもない離れ業だった。この考えは、心理学者スティーブン・ピンカーがさらに『言語を生みだす本能』(NHKブックス)へと発展させる。

 大学院生時代から普遍文法の考えはどこかおかしいと感じていた二人の言語学者が巨人ゴリアテに向かって放つ石は「ジェスチャーゲーム」。言語は遺伝的に決定されたものなどではなく、身振り手振り、発声、あるいはその両方で自分の意思を双方向的に伝え合うジェスチャーゲームのようなものが起源なのではないかという斬新なアイデアだ。そこには普遍文法が入り込む余地などない。

 言ってはなんだが、普遍文法に比べると、なんだかちゃっちい学説のような気がしてしまう。しかし、読み進め、数多くのエビデンスをつきつけられているうちに、だんだんと納得させられていく。本書の冒頭に紹介されるエピソードは、クック船長がまったく言葉の通じない南米の現地人と交わしたコミュニケーションである。それはもちろんジェスチャーゲームだった。子どもが言語を学ぶのは、周囲の人との「言語ジェスチャーゲーム」を繰り返しながらだ。他にも、言語が生まれるためにはいかに双方向性のコミュニケーションが重要であるかの研究成果――言語学のような文系だけでなく、生物学やコンピューターサイエンスなど理系のデータも多い――が次々と紹介されていく。

 チョムスキーの考えを「神話」だとまで切り捨てながら繰り出す攻撃は鋭い。まずは言語の多様性だ。それぞれに複雑な言語が世界には7000種類もあり、じつに多彩で統一された傾向といったものなどない。となると、そのようなものに対応する遺伝的な本能があるとは考えにくい。

 わたしが長年たずさわってきた生命科学の分野には「言語の遺伝子」として有名なFOXP2がある。この遺伝子に異常のある家系は言語能力に欠陥があるし、ヒトとチンパンジーではその遺伝子に違いがある。これは当然チョムスキーらの考えを強く支持するものだ。しかし、最近の研究により、FOXP2は、言語能力そのものではなく他の脳の高次機能にも影響を与えるものであり、「言語の遺伝子」というのは過大評価であったことがわかってきている。

 試行錯誤的なコミュニケーションが成立し、その中から生き残ったジェスチャーや発声が記憶され、次第に抽象化されて言語に至るという自然発生的な考えの方が、全言語を理解できるような遺伝的能力が脳に内在しているというよりはるかに自然ではないか。もちろんジェスチャーゲームから言語に到る道のりは果てしなく遠い。だが、何百万年もかければ、そんな進化も可能に違いない。

「人間の脳はどうしてこんなにうまく言語に適応しているのか」というチョムスキー的な考えに対して、「言語はどうしてこんなにうまく人間の脳に適応しているのか」と真逆のベクトルで考え直したのがこの本だ。前者を言語への生物学的な適応とすると、後者は言語と脳の相互作用という見方ができる。そして、そこには文化の介在という新たなファクターが垣間見えてくる。なんと魅力的なんだ。

 専門家ではないので、この仮説の妥当性がどの程度あるのか、また、これから受け入れられていくかどうかもわからない。だが、もしかするとパラダイムの転換を眺めているのではないか。その興奮を禁じ得なかった。

新潮社 波
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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