納得から確信へ――新たな言語学の誕生 『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』

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言語はこうして生まれる

『言語はこうして生まれる』

著者
モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784105073114
発売日
2022/11/24
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

納得から確信へ――新たな言語学の誕生

[レビュアー] 竹内薫(サイエンス作家)

竹内薫・評「納得から確信へ――新たな言語学の誕生」

 われわれのような還暦を迎えた世代にとっては、言語学といえば、普遍文法の提唱者であるノーム・チョムスキーや、その影響を色濃く受けた心理学者のスティーブン・ピンカーの研究が強く印象に残っている。

 正直に告白すると、私はチョムスキーやピンカーらの論文や著作を読んでも、ピンと来なかった。生物進化の結果、ヒトという生物にだけ、生得的な文法が備わっていると言われても、疑念だけが残った。

 私は幼少時にアメリカに連れて行かれ、現地の小学校にいきなり放り込まれた過去があり、いわゆるバイリンガルになった。この経験は、受験でも海外留学でも翻訳の仕事でも大いに役立ち、いまでは小さなインターナショナルスクールを運営している。そんな私は、日本人の多くが英語をしゃべれない理由は、英語圏の子供たちのように学習していないからではないかと疑っている。

 そんな私の長年の疑念を晴らしてくれたのが、本書『言語はこうして生まれる』である。第1章「言語はジェスチャーゲーム」の冒頭にルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの『哲学探究』が引用されている。おお? 大好きな哲学者だゾ。読み始める前から期待が高まる。

 続いて、クック船長とハウシュ族が「ジェスチャーゲーム」でコミュニケーションを図ったであろうという推測が語られ、すんなり納得。そうそう、初めてアメリカに行ったとき、私も確かにジェスチャーで会話を補っていたっけ。

 世界最高レベルの研究者たちが集うマックス・プランク心理言語学研究所で、本書の著者たちは「言語はジェスチャーゲームである」というひらめきを得たという。

 脳の記憶力や注意力はきわめて限られているのに「なぜ人間が言語の猛襲にこうもついていけるのか」? 言語は個々の文字や単語ではなく、チャンク(かたまり)を単位として会話を組み立てており、言語を学習するとは、このチャンクのレパートリーを増やすことなのだそうだ。そして、このチャンクをまとめた大きなチャンクも覚えてしまえば、ほとんど何も考えずに複雑な表現が可能となる。つまり、英会話ができるようになるためには、短い決り文句を覚え、さらに決り文句をつなげて覚え、単語のパーツだけ入れ替えて応用すればいい、ということになる。

 ちょっと笑ってしまったのは、「大人の話者は、およそ一〇〇〇語に一回は単語の発音を間違えたり言葉遣いを誤ったりする」という件だ。私はよくテレビやラジオで「噛む」のだが、それってあたりまえのことだったんだ。アナウンサーが特別なだけなんですねぇ。

 これだけ原著者の主張に納得がいく本も珍しい。さまざまな実験結果が紹介され、豊富な事例で主張が肉付けされ、言語は本当にジェスチャーゲームのようなものなのだな、という確信が高まってゆく。

「人間の言語は第一に詩であって、その次に散文なのだ」

「言語は骨の髄まで変則的なのだ」

「言語は人間に学習されるよう、とくに子供に学習されるように進化してきた」

「人がしている会話の約九〇パーセントはわずか一〇〇〇個程度の単語で成り立っている」

 これらを全部「標語」にして、学校の教室の壁に貼り付けておいたらどうだろうか。

 子供の言語習得に大切なのは、親がたくさんの難しい単語を使用してみせることではなく、「会話の順番交代の回数」だという指摘は意外だった。また、ヘレン・ケラーの先生であるアン・サリヴァンに「指文字」を教えたローラ・ブリッジマンの存在や、発音が母音ばかりで世界一習得が難しいとされる「デンマーク語の謎」など、言語学に関係した興味深いエピソードが続く。

 終章「言語は人類を特異点から救う」では、人工知能がジェスチャーゲームをする能力を持っていないことから、人間との違いが強調される。ちょっと安心しましたよ~。

 言語は数学的でなく、人工知能は創造ができず、言語こそが(遺伝子ではなく)文化の進化を生んだという本書の主張は、チョムスキーやピンカーに代表される古い言語学パラダイムからの脱却を促すだろう。そして、誰から見ても失敗としか言いようがない、日本の英語教育の見直しにもつながる可能性を秘めている。新たな言語学の誕生だ。

新潮社 波
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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