言語を生み出す人間の弱さ

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言語はこうして生まれる

『言語はこうして生まれる』

著者
モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784105073114
発売日
2022/11/24
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

言語を生み出す人間の弱さ

[レビュアー] 森田真生(独立研究者)

 認知科学者であるモーテン・H・クリスチャンセンとニック・チェイターによる一冊『言語はこうして生まれる――「即興する脳」とジェスチャーゲーム』が刊行された。

 心理学や神経科学、遺伝学、人類学、動物行動学、コンピューターサイエンスなどの最新の知見と、30年におよぶ共同研究によって、まったく新しい言語の姿を提示した本作。独立研究者の森田真生さんが自身の経験を振り返りながら読み解いた。

 ***

 いい本を読むと、自分のなかに眠ったまま忘れられていた、古い記憶が呼び覚まされることがある。私は本書を読んでいて、自分が幼い頃の、言葉を覚え始めたばかりの時の記憶を思い出していた。

 私は二歳から十歳まで、アメリカのシカゴで育った。いま思えば、脳が日本語にようやく適応し始め、しかしまだ日本語を母語としてスラスラ話せるわけでもない微妙な時期に、英語という未知の言語の世界に、にわかに放り込まれたのである。

 現地のプレスクールに通いながら、自分の知らない言語でまわりの子どもたちと意思疎通を図ろうとすることは、まさに暗中模索の「ジェスチャーゲーム」の感があった。

 ひとまず誰かに話しかけられたら、「yeah(うん)」とか「yep(そうだね)」とか、自信満々に答えてみるのだ。熟慮の上で正確に言葉を選ぶより、踊るように、探るように、自分の「順番(ターン)」がきたら、何かしらの「仕草(ジェスチャー)」を返す。そうして会話を前に進めていく。自分が何に対して「yep」と答えたかは、会話を実際にしばらく進めてみて、あとからわかってくる場合も珍しくなかった。

 規則として結晶した文法の学習から始めるのではなく、混沌とした言葉のやり取りを通して意味を探っていくこと――幼少時代の言葉の風景を思い出すと、言語とは「即興する脳」による「ジェスチャーゲーム」だという本書の主張は、とても自然な発想に思える。

 だがつい最近まで、こうした言語の見方は、言語学者のあいだで異端だったという。三十年前まで言語学研究の分野を支配していたのは、ノーム・チョムスキーによる「生成文法」のアイデアだった。この見方によれば、あらゆる人間の言語の文法は、人間の脳に(ひいては人間の遺伝子に)あらかじめ組み込まれた数学的な規則から生成される。このとき、言語学者の使命は、人間の言語に秩序をもたらす、この数学的な体系を見つけ出すことであった。

 人間の言語は一見するとあまりに複雑で、数学的な規則のみで全体を統制することなど不可能に見える。だが、そうした言語の表面上の乱雑さの背後に、緻密で整然とした数学的秩序が隠れているはずだ。チョムスキーのこの強烈な信念は、多くの同時代の言語学者にも支持されたのだった。

 本書で描かれているのは、こうしたチョムスキー的な言語観から、より猥雑で、雑音にまみれた言語観への転回だ。人間の言語の無秩序さや、日常語の概念のもつれは、言語のあるべき姿からの逸脱ではなく、むしろ、無秩序さや、もつれこそ、人間の言語が即興的なやり取りを通して生み出されてきたことの何よりの証だというのだ。

 言語の規則性を、脳や遺伝子に組み込まれた数学によってトップダウンに決定されるものとして見るのではなく、日常の小さなやり取りの積み重ねの果てに、ボトムアップで形成されていくものとして捉える見方は、言語学において「構文文法」と呼ばれるアイデアとして結実している。これは、言語の複雑さを理解するために「構文」と呼ばれる小さな基本単位から始めていくアプローチで、言語の大域的(グローバル)なパターンが、構文と構文の局所的(ローカル)な相互作用から生成していく過程を理解しようとする試みである。

 この考えに基づけば、複雑な言語を操るために、一人ひとりの人間が知っている必要があるのは、「種々の構文とその構文の相互作用」だけだ。このように言われてみると、再び幼少時代の懐かしい記憶が蘇ってくる。

 たとえば当時、「How are you?」と聞かれたときに答える「Fine thank you.」という常套句は、私にとってまさに一つの分割不能な「構文」だった。これが実は、「Fine」「thank」「you」の三つの単語に分割できると気づいたときの驚きは、いまもはっきりと記憶している。当時の私にとって、単語を文法規則にしたがって並べるという発想はなく、そもそも自分の発する言葉が単語の列であることすら気づいていなかったのである。

 だがなぜそもそも人間の言語は、こうした「構文」という曖昧な単位を基礎に作動しているのだろうか。人間が設計する人工言語のように、あらかじめ明確に切り分けられた単語を、数学的な規則に基づいて操作するわけにはいかないのだろうか。

 本書は、いまある私たちの言語の姿は、人間の記憶力の「深刻な限界」に由来するのだと説く。人間の記憶力は、驚くほど限られている。絶え間なく入ってくる情報に対処するためには、情報を、使い勝手のいいまとまりへと「チャンク化」していく必要がある。

 こうして作られた手近な「チャンク」としての「構文」の局所的な相互作用こそ、人間の言語の大域的な複雑さを生み出す秘密だというのだ。とすれば、人間の言語の驚くべき多様性は、人間の限られた認知能力、あるいは、ほとんど絶望的なまでの「有限性」の賜物にほかならないということになる。

 人間の有限性を、機械の力によって克服していくこと。そうして、人間の弱さに由来する言語の欠陥を補正し、厳密で、完全な言語を実現することは、哲学史において何度も反復されてきた壮大な夢の一つであった。

 機械は人間の有限性を、あまりに軽々と突破していく。だが皮肉なことに、まさにそれゆえにこそ機械は、人間のように即興的で柔軟な言語を生み出す可能性をあらかじめ奪われているのかもしれないのである。

 目覚ましい勢いで進化する現代の人工知能は、人間と似て非なるアルゴリズムで、知能の必要を完全に回避(本書三〇九頁)しながら、人間以上に高速に、巧みに、人間の言葉を操るようになった。今年の三月に公開されたGPT-4など現代の強力な大規模言語モデル(LLM)は、まさに「新種の言語使用者」として、目を見張る勢いで進化しながら人間を慄かせ、驚かせている。

 だが、過去の生命活動の賜物である化石燃料に現代文明の高速な回転が支えられているように、現代のLLMもまた、過去の人間が生み出した多様な言語の記録と痕跡を燃料とし動いている。どれほど強く見えても、人間が現在と過去の多様な生命の存在に依存しているように、計算機もまた、知能の必要を回避しながら、みずからを知的に見せ続けるために、記憶力に深刻な限界を持ち、切ないほど限られた認知能力しか持たない、人間の弱さを必要としている。

 結局このダンスは、みんなで踊っているのだ。バクテリアも植物も、人間も機械も、みな即興で意味を生み出し続ける、同じダンスを踊る一員である。

新潮社 新潮
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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