死者が出て3度も映画化が頓挫した“呪われた小説”の真実を描く 「恩田陸」が15年かけて綴った物語

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鈍色幻視行

『鈍色幻視行』

著者
恩田 陸 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087714302
発売日
2023/05/26
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

〈呪われた小説〉〈豪華客船〉〈いわくつきの乗船客〉……15年連載の結実

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

 贅沢と言えばこれほど贅沢な本もない。当代最高の語り部・恩田陸が2007年から15年にわたって連載した650ページ余の大長編。ずっしり重いその本が描くのは、2週間の豪華客船クルーズ。ゆったり時間の流れる船旅の間に、『夜果つるところ』という“呪われた小説”(独立した長編として6月末刊行予定)の真実が少しずつ浮かび上がる。

 交代で語り手をつとめるのは、小説家の蕗谷梢と、その夫で弁護士の雅春。ともに再婚で、年齢は40代。忙しい者同士なので、二人で長い時間を過ごすのはこれが初めて。梢の旅の目的は、いつか書くかもしれない『夜……』に関する本のための取材。同書は三度にわたって映画化が企画されながら、そのたび死者が出て頓挫している。撮影現場で起きた火災(6人が死亡)、キャスト同士の無理心中、脚本家の自殺。作者の飯合梓も謎が多く、失踪後7年を経て死亡したとされたが、遺体は確認されていない。このクルーズに参加したのは、最初の映画化のとき助監督だった映画監督。熱烈な飯合梓マニアである漫画家姉妹。90歳近い大御所の映画評論家とそのパートナーである26歳の青年……などなど、個性的な人々が一堂に会し(時に一対一で)過去を物語る。長いミステリにふさわしく、Intermissionや「名探偵、皆を集めて『さて』といい」の見せ場も用意されているが、それはあくまでも枠組みでしかない。

 船が最後の寄港地を離れるときにデッキで手を振っていた人々について、ある人物がこんなことを言う。

「離れていく香港に手を振るのは、そこにいたという自分の過去に向かって手を振っているのよ」

「あたしたちは、ずっと過去に向かって手を振り続けているの。手を振り返してくれる人はどこにもいないというのに」

 人生の半ばを過ぎて本書を手にした読者は、誰しも過去に向かって手を振っている自分に気づくだろう。

新潮社 週刊新潮
2023年6月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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