『アルテミジア・ジェンティレスキ』
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『アルテミジア・ジェンティレスキ 女性画家の生きたナポリ』川合真木子著(晃洋書房)
[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)
悪夢超え創作 情熱の生涯
アルテミジア・ジェンティレスキ(1593~1656年?)は17世紀前半を駆け抜けた才女である。父オラツィオは、光と闇の劇的な絵画を創始した鬼才カラヴァッジョに強い影響を受け、彼女も父を介してカラヴァッジョ風の画風で世に出た。カラヴァッジョの名は広く知られているが、アルテミジアについては詳細には語られない。むしろ、父の共同制作者タッシに強姦され、裁判沙汰になった事実だけが一人歩きし、美術史でもフェミニズムの観点から注目されてきた。著者もそのような視点からこの女性画家に関心をもったという。今日もジェンダー的観点から論じられるが、そこにはスキャンダルがつきまとう。では、彼女はいかに自己実現を果たしたのだろうか。
本書はこのセンセーショナルな事件の詳細と研究史に始まり、男性優位の芸術界で彼女が果敢に制作に取り組み、社会に受容されたのか、禁断のヴェールを剥がすように明らかにしてゆく。
序論で問題点を整理した上で、事件のあったローマを後にして以降を時系列で綴(つづ)る。第一章ナポリへの道、第二章ナポリでの擁護者との関係、第三章教養サークルとの関わり、第四章個人コレクターとの関係、第五章トスカーナの人脈へと展開し、聖堂壁画や個別作品の丹念な分析を試みながら、汚名をいかに制作意欲に変えたのか実証的に解明する。
博士論文に依拠した書籍ではあるが、読み応えは抜群である。とくに17世紀の文芸をめぐる言説に注目したい。当時は、歴史上の人物や抽象的概念を擬人像で描く指南書である図像事典が数々出版され、かつ古典古代の文献に精通したパトロン達(たち)が芸術論争を展開していた。彼女が活躍した諸都市は、知の坩堝(るつぼ)であり、経済的にもパトロンを得るに格好の環境だったのである。
書簡集や未刊行史料の翻訳など、専門研究に必要な資料を添付した浩瀚(こうかん)なモノグラフである。とは言え情熱を秘めた著者の語りにより、ノンフィクション歴史小説に匹敵する。思いをはせるのは、一人の女性の生き様に他ならない。