エッセイスト・酒井順子さんに届いた招待状の宛名はなぜ、「酒井川夏子様」だったのか? 小説『墨のゆらめき』を読んで蘇った、「書き間違え」と「書」にまつわる思ひ出
レビュー
『墨のゆらめき』
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文字を通じて歩み寄る、「書く男」と「見る男」
[レビュアー] 酒井順子(エッセイスト)
『まほろ駅前多田便利軒』『風が強く吹いている』『舟を編む』などの著者・三浦しをんの長篇小説『墨のゆらめき』が刊行された。
奔放な書家から実直なホテルマンへの無茶ぶりや突飛なふたりの代筆業に爆笑の渦に包まれつつ、やがて相手の才能や孤独と向き合う姿にほろりとさせられる一作だ。
本作の読みどころを、エッセイストの酒井順子さんが解き明かす。
酒井順子・評「文字を通じて歩み寄る、「書く男」と「見る男」」
あるパーティーの招待状が届いた時、宛名に「酒井川夏子様」と書いてあったことがある。はて? と思ったが、次の瞬間に理解した。パーティー主催者は、おそらく手書き・横書きで招待者リストを作成。その時、酒井順子の「順」の字の偏とつくりが離れていたため、リストを見た筆耕士は別の文字と判断し、かつ「頁」が「夏」と読めたので「酒井川夏子」となったのではないか、と。
いつも何気なく眺めていた招待状の筆耕文字だが、そこには文字を書いた生身の人がいる、ということを感じたのは、この時が初めてだった。酒井川夏子、何やら素敵な名前ではないか。どんな人が書いてくれたのか。……と想像が広がったのであり、三浦しをん著『墨のゆらめき』を読みながら、久しぶりにその時のことを思い出した。
物語は、老舗ホテルの従業員である続力と、書道教室を営む書家の遠田薫の出会いから始まる。招待状の宛名書きなど、ホテルでは、筆耕の仕事を発注する機会が多い。遠田に依頼をすることになった続は、その自宅兼書道教室を訪れて、書の現場に初めて触れるのだ。
古く味わい深い一軒家に住む遠田は、ワイルドなイケメン。書道教室に通う子供達からも大人気である。真面目な続は、遠田の自由な言動にひやひやしつつ、気がつくと彼のペースに巻き込まれ、小学生から依頼された手紙の代筆を手伝うことになっていた。
その後も、二人の付き合いは続く。磊落だがどこか謎めいた遠田の雰囲気、そして「文字を書く」という行為の魅力に惹かれて、続は彼の家に通うようになっていった。
遠田が漢詩を書く姿を、続が初めて見るシーンは印象的である。遠田の筆運びは、「筆を通して画仙紙に伝った墨の最初の一滴が、自動的に文字の形のとおりに繊維のあいだに染み入り、黒い軌跡を浮かびあがらせているのではないかと思うほど」に、なめらか。続は完成した書から音色が聞こえてきたかのように思うのだ。
かつて書道を習っていたことがあるが、師が書く姿にはいつも、続のようにほれぼれしたものである。「書く」というよりは、筆から黒い線が「出てくる」かのような姿を見る快感を、本書を読みつつ私は久しぶりに味わうことができた。
文字は、書いた人の内面を如実に示す。書については素人の続だが、彼は書き手の心、そして文字の背景にある空気を、その書から読み取ることに、長けていた。そして遠田は人の心に敏感だからこそ、小学生の文字から唐代の書家の文字まで、その人になりきって書くことができる。
遠田はきっと、続の気質を見抜いていたのだろう。全く性格の異なる二人の距離は、次第に縮まっていく。……のだが、ある時から遠田は続と音信を断つ。果たして遠田は、何を思っていたのか。
今は、紙に手で文字を書く機会がめっきり減った時代である。ペーパーレス化も盛んに訴えられ、パソコンやスマートフォンのキーを「打つ」ことが、今は「書く」ことになっているのだ。
そんな中で三浦しをんは、「書く」という行為が本来はどのような意味を持っていたかを、軽快に進む物語の中で、浮かびあがらせようとしている。文字とは単に情報を伝えるための道具ではなく、書き手の精神をなまなましく伝える、肉体の一部のようなもの。太古の昔の人であっても、手書きの文字が残っていれば、その人がどのような人であるかが、伝わってくるのだ。
書家達は、いにしえの名筆家達の筆跡と同じように書くことによって、その精神に寄り添おうとしているのだろう。「まねぶ」ことはすなわち、学ぶことなのだ。
白い紙に、黒い墨で線を書く。書とはただそれだけのことなのに、墨の濃淡、線の太さ、かすれ具合ににじみ具合……と様々な要因によって、その人にしか書くことができない字が現れる。どんな人でも筆を持てば、職業も外見も過去も関係なく、その人だけの字を書くことができるという平等さ、自由さを、この小説は示すのだ。
ちなみに私、三浦しをんが書いたサインを見たことがあるが、不思議なクラシックさを湛えるその字の個性は唯一無二。文字って本当にその人を表すものであるよ、と思わされたことだった。