『私はスカーレット』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
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罪と文学はどう向き合っていくのか。林真理子版『風と共に去りぬ』では?
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
アメリカという国の断絶の根は深い。いまこの国を真っ二つにしている論争の一つは、妊娠中絶の是非であり、もう一つは「有害図書」をめぐる問題だ。最近、古典作品の「改竄」も問題化しており、アガサ・クリスティーなどの作品から「黒人」「ユダヤ人」「ジプシー」などの語を含む人種差別になりかねない箇所を削除した版が刊行され、物議を醸している。
南北戦争と奴隷制を背景にした『風と共に去りぬ』も取扱いが難しい作品の一つだ。
虚構に書かれた罪と文学はどう向きあっていくのか。『私はスカーレット』は一つの方法を提示しているかもしれない。『風と…』が創作の原点という林真理子が、原作の三人称文体をヒロインの一人称独白として語り直した新釈版である。
ストーリーや舞台設定は原作に忠実だが、非常にモダンな印象を与える。その理由の一つは、方言的表現を一切排しているからだろう。昭和初期の翻訳では、奴隷の発話には「~できましねえだ」といった奇妙な訛りがあった。平成に本作の新訳を行った私は一部の人物には訛り口調を採用しなかった。令和の林真理子版では、黒人奴隷も先住民も移民も、みんな端整な標準語を話す。ジョージア人の口調は、原作者が再現に腐心したところではあるが、訛りの翻訳は侮辱的表現になりやすい。
しばしば議論になるスカーレットが貧民街の白人と黒人男性に襲われる場面にも、原作とは異なる点がある。原作では白人の指示で黒人のほうが彼女に手を下すのだが、林真理子版では、どちらがなにをしたのか断定できない悪夢的な書き方になっている。
とくに物語後半はスピード感があり、原作の戦争や政治面での分厚い記述にやや尻込みしていた読者も入りこみやすいだろう。
ストーリーは活かしつつ、翻訳ではできないリライトを実現した翻案小説である。