『エレクトリック』
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インターネットの黎明期 「同性愛の世界」に接近する青年の欲望
[レビュアー] 乗代雄介(作家)
舞台は一九九五年の雷都、栃木県宇都宮市。一月に阪神・淡路大震災、三月に地下鉄サリン事件が起きた「異常な年」である。そんな時代と場を、作者に近い存在と思われる高校生の志賀達也は生きていた。
タイトルは、達也の尊敬する父が取引先に取り入るために修理している真空管アンプの製造会社の名から取られており、これを追って一応の物語は進行する。
真空管が真空なのは、電子の移動効率を高めたりヒーターの酸化を防いだりするためだが、達也の父によれば、真空率が甘い方が良い音になるということもあるらしい。達也はそれを「なんだかおかしな話」と思いながらも、「聴いてすぐわかるくらいの違いがある」ことを実感する。
この真空に残留する気体に注目してみると、煙、音、匂いという空気の存在を意識させるものが、小説の序盤からくり返し描写されていることに気付く。すると、比喩的な〈空気〉も目に付くようになる。
家、学校、大人の社交、数学の証明問題にさえ〈場の空気〉があり、人はそれから逃れられない。達也はゲイである自分に気付き始めているが、学校の大雑把な〈空気〉の中では、欲望するものが「良い音」として入って来ずに戸惑っている。
ただ〈時代の空気〉というのもまたあって、一九九五年といえばインターネットの黎明期である。空気を介さない電気信号によって、達也は真空率の高い「生きている同性愛の世界」に接近する。
達也の変身を見る前に小説は終わるが、読者はそんなことにがっかりしないよう〈空気〉の存在を意識しておきたい。この小説が示すのは変身前のあり方、一九九五年の宇都宮で体験された変身のしかたなのだ。
そのしかたとは―今そこにある〈空気〉を「少しも揺すぶらないように、静かにすばやく」である。例えば、CDをセットする時のように。決して、動きすぎてはいけない。