会いたいのに、もういない…5歳の息子を助けて死んだ「未知生さん」に涙がほろり

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未知生さん

『未知生さん』

著者
片島麦子 [著]
出版社
双葉社
ISBN
9784575246537
発売日
2023/07/26
価格
1,815円(税込)

すでに失われた人を語る そして自分を再発見する物語

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 これぞ真のキャラクター小説だ。

 片島麦子は十年近いキャリアのある作家だが、新刊『未知生さん』で大化けした。人間模様が鮮明に描き出され、実に的確な表現でおのおのの肖像が彫琢されていく。ページの間から彼らのため息が聞こえてきそうで、耳をそばだてたくなった。

 主人公の羽野未知生は、ホームから落ちかけた五歳の息子を助けて電車に轢かれ、死んだ。だから第一話「きよめしこのよる」は、高校の同級生だった〈ぼく〉こと一木澄人が葬儀に参列した後の場面から始まる。ヒーローめいた最期は不似合いだから未知生には「うっかり」死んでもらいたかった、と彼は思う。澄人にとっての未知生は、ここぞというときに必ず失敗する、でも誰もがいいヤツと考えるような存在だった。

 各話の視点人物がそれぞれに未知生像を語る。第三話「ジャムセッション」の〈おれ〉こと高城一真は元同僚で、猫を飼っているという理由で宿泊出張を拒絶する身勝手さを嫌っていた。第四話「白色の国のアリス」では〈わたし〉こと同じ職場の上司だった石月アリスの視点から、その頑固さの背景が明かされる。

 共通するのは未知生を語る者みなが、彼の態度のどこかに自分にないものを見出していたということだ。支配的な夫との関係に疲弊していた石月は、他人に優しいがどこまでも自分を崩さない未知生を見て、「わたしはわたしひとりでしあわせになってもよかったのだ」と気づく。

 誰かを鏡、あるいは共鳴板として、それぞれの登場人物が自分を再発見していくという構成の小説だ。中心にいるべき未知生が不在というところに本作の特色がある。当たるべき的がいなければ、光はそれ以外の場所に降り注ぐ。その明るさで自分の姿を見直した後にふと振り向くと、未知生の形をした穴が空いている。その寂しさに涙がほろりと落ちるのだ。もういないんだ、未知生。こんなに会いたいのに。

新潮社 週刊新潮
2023年8月31日秋初月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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