傷を抱えた人々が互いに支え合う家族再生の物語

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傷を抱えた人々が互いに支え合う家族再生の物語

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界 2023年9月号』(文藝春秋)

「新しい家族のかたち」で暮らしていく。先日亡くなったタレントのryuchellは1年前、そう宣言して離婚した。元妻pecoとの関係は良好そうだったが、息子の養育や、急速に女性化する容姿などをめぐって世間は喧しく、心労が重なっていたことは想像に難くない。家族なんてもとより色々なのに、制度や規範から外れる「かたち」に人々は怯えたり怒ったりする。

 仙田学「その子はたち」(文學界9月号)は、規格外の「家族のかたち」を内側から描いた作品である。

 語り手の「わたし」は40代前半、出会い系サイトで知り合った夫・弘との間に12歳になる娘・優愛がいる。夫との関係は悪くないものの、優愛が生まれてからセックスレスになっている。優愛との距離を「わたし」はうまく測れず、優愛もほがらかさを失っている。

「優愛の母であること。そんな呪いをかけられたかのようだった」

 そんな具合に、少しずつ歯車がずれかけている家庭に闖入者が現れる。優愛の友達である少女・凪子の一家がずけずけと家に上がり込むようになるのである。

 ところが彼らは「家族」ではなかった。父のトモ、母の洋子、凪子、その妹の菜乃の4人家族に見えたが、トモと洋子は夫婦ではなく、凪子と菜乃も姉妹ではない。シングルファーザーとシングルマザーの二家族が寄り添い共棲していたのである。

 その疑似家族が「わたし」たちの家庭を侵食しようとしている……とあたかもホラーのように話は進むのだが、一編は意外にもハッピーな予感を残して閉じる。

 実は「わたし」にはもう一人娘がいる。前夫に引き裂かれ17年間会っていなかった20歳になるその娘・千夏が「わたし」の前に姿を現す。「わたし」に捨てられたと思っている千夏との関係があるいはこの小説の真の主題かもしれない。弘やトモ、洋子にもそれぞれ過去の影がある。傷を抱えた8人が互いに支え合い「新しい家族のかたち」で再生していく物語。そうまとめることもできるか。

 仙田はここ数作「新しい家族のかたち」を追求している。自身が娘二人を育てるシングルファーザーであることが核にあるだろう。

新潮社 週刊新潮
2023年9月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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