『かたちには理由がある』
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なぜこんな「かたち」なの?観察眼を鍛えるプロダクトデザイナーの思考術
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
『かたちには理由がある』(秋田道夫 著、ハヤカワ新書)は、以前ご紹介した『機嫌のデザイン』(ダイヤモンド社)の著者による新刊。プロダクトデザイナーとしての立場から、自身がデザインを手がけたさまざまな製品を題材としつつ、「もののかたち」についての考察を行ったものです。
でも、当たり前のものとして存在するものの「かたち」について、なぜあらためて考える必要があるのでしょうか? そのことについて、著者は次のように述べています。
ものにはかたちがあり、かたちには理由があります。
「なぜ、これはこういうかたちなんだろう?」「こういうかたちにするには難しい事情が何かあるのかな?」と観察してみれば、日常の風景がこれまでとは違って見えるに違いありません。
デザイナーにとって観察は基本業務ですが、デザイナーに限らず誰にとっても、これは感性を磨きながら日々を過ごすための有効な楽しみになると思います。(「はじめに」より)
この文章は「観察はデザインに勝る」というフレーズで締められていますが、たしかにそのとおりかもしれません。かたちに理由があるように、ものがそこに存在することにも理由があるはずなのですから。
しかし、そもそも「デザインとはなんなのか?」「もののデザインに携わるプロダクトデザイナーとはどんな仕事で、彼らはなにをしているのだろうか?」ということが気になってしまうかもしれません。そこで、そうした純粋な疑問を解き明かすべく、本書の第1「デザインとは『素敵な妥協』をすることーー『発想』と『制約』のはなし」に注目してみたいと思います。
プロダクトデザイナーは、なにをしているのか?
著者によればプロダクトデザイナーという仕事は、18世紀後半の産業革命のなかで生まれたようです。つまり、大量生産品の登場とともに生まれた仕事なのでしょう。
産業革命は、家内制手工業の時代にはつくれなかった数の製品を、同じ品質で大量につくることを可能にしました。すなわちそれは、“一点もの”から“複製品”へのものづくりの変化。よいものをひとつつくり、それを複製する。そうすることで、よいものを世の中に流通させられるようになったわけです。
ちなみに最初は設計者や開発者が、その“もとになるひとつ”をつくっていましたが、それらが美しくなかったとしたら、美しくないものが大量に出回ることになってしまうことになります。
だとすれば美しいものだけを量産すればいいはずですが、製品をつくるためには製造工程や素材、コストや構造など、さまざまな制約があるもの。そのため、どんなかたちのものでも自由につくれるというわけにはいかないのです。
そのあたりのさじ加減を調整して、いい案配のかたちを提案するのが、工業デザイナーであり、プロダクトデザイナーかなと、わたしは思っています。わたしのデザインにシンプルなかたちが多いとすれば、それは部品数が少ない方が費用を安くできるとか、壊れにくくなるとか、そういう都合の結果だったりもするわけです。(21ページより)
なるほど、素材を1グラム減らすだけでも、それを100万個つくるとすれば100万グラム、つまり1トン減ることになります。
ちなみに車のデザインなどでも、鉄板の内側をできるだけ削って薄くしているわけですが、それは設計者の仕事。一方、そうやって工夫された素材をいかに美しく見せるかはデザイナーの仕事になるわけです。いわば、それこそが “さじ加減”。
わたしが言う「デザインは妥協だ」とは、そうした様々な制約やクライアントの思惑、メーカーのブランディングなどを考慮しながら、美しいものを作ることを意味します。(21ページより)
もちろんデザインにおいては、芸術家のように自らの美意識のまま創作することはできません。しかし、さまざまな条件をクリアしながらかたちを考えることには、また違った魅力があるものだということです。(20ページより)
大量生産と少量生産の違い
最近、「Nothing」という革製のトートバッグをデザインしました。「二枚の壁の間にできた空間」という建築的なコンセプトから考えたものです。このカバンからは、大抵のビジネスバッグにある内側の仕切り板や収納ポケット、カバンを閉じるためのカバーとチャックをなくしました。その上、ふつう外側に付ける持ち手の留めも内側にして、外側は見事なまでのフラットな仕上げにしました。(22ページより)
そうやって難しそうなことを考えてできたものを、著者は「革製の紙ブクロ」と表現しています。とても高価で肉厚の紙ブクロ。実際に使ってみると、その「なにもなさ」が、入れやすさと取り出しやすさにつながったことを実感したといいます。
「Nothing」は同じ製品を何個も作る量産品ではありますが、一度に何万個も作れるものではありません。
合成皮革ではなく本革ですし、製品のランクや手間のかかる手作業の多さを考えると、量産品というよりは「同じかたちをした一点もの」という表現が近いです。そのようなものづくりをすることは「大量に市場に出回らない製品作りの醍醐味」であり、それが今回のようなチャレンジを可能にしています。(22〜23ページより)
10万個、100万個という単位で同じものを大量につくるためには「金型」という、金属の塊でできた型が必要になります。ところが、その金型をつくるには何百万、何千万円という「初期投資」が必要。つまりそのぶん、大量につくる覚悟と思い決断が伴うわけです。
一方、「Nothing」は革製品でありながら、金型は使わないそうです(同じ大きさにカットするための枠はあるかもしれませんが)。だからこそ、皮の品質を高めることを追求し、その結果として生まれた製品であると位置づけることができるわけです。
プロダクトデザイナーはなんでも妥協して仕事をしているわけではなく、逆にすべてがクリエイティブ性の高い仕事というわけでもありません。そのあいだでの判断が、デザイナーには常に問われているわけです。(23ページより)
制約があり、ときに妥協も求められるからこそ、そうした障害をクリアした優秀な製品が誕生するということ。そのような視点で捉えなおしてみれば、見慣れたプロダクツの裏側にあるものが見えてくるかもしれません。(22ページより)
ふだん使い慣れているものにも、間違いなくデザイナーの思いが込められているもの。実際にデザインに携わっている著者による本書は、そんな、“気づきにくいけれども大切なこと”を実感させてくれます。
Source: ハヤカワ新書