ロボットと「肉体関係」を持つようになったら人間はどうなるのか? AIとロボット技術が合体する未来を考える

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ヒトは生成AIとセックスできるか

『ヒトは生成AIとセックスできるか』

著者
ケイト・デヴリン [著]/池田 尽 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
総記/情報科学
ISBN
9784105073619
発売日
2023/09/19
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ロボットと人間のあいだ

[レビュアー] 鈴木涼美(作家)


セックスロボットはなぜ女性の形をしているものばかりなのか(画像はイメージ Image by photoAC)

 ChatGPTやMidjourneyの登場以来、AIの話題がメディアに登場しない日はない。自分の仕事が奪われるのではないかと不安に思う人もいるだろうが、人工知能は生活分野ではどのように世界を変えていくのだろうか。たとえば恋愛などの領域ではどうだろうか。

 スパイク・ジョーンズ監督の大ヒット映画「her/世界でひとつの彼女」は自然言語による対話で操作するうちに、コンピュータに恋をしてしまった男性の物語だが、技術的にはとっくに実現されているし、日本ではフィクトセクシュアル協会の代表理事で、初音ミクと「結婚」したという近藤顕彦さんが、架空のキャラクターに魅力を感じる性的指向の理解増進を進めている。そもそも人間が人間でないものに恋をしてしまう物語ははるか古代からいくらでも存在する。

 英国キングス・カレッジのデジタル人文学部のケイト・デヴリン助教授は、著書『ヒトは生成 AI とセックスできるか』でAIや架空のキャラクターと人間の間で構築される関係について幅広く論じているが、この本に寄せられた作家・鈴木涼美氏の書評を公開する。

鈴木涼美・評「ロボットと人間のあいだ」

 北斎の「蛸と海女」でもいいし、「シェイプ・オブ・ウォーター」の半魚人でもいいけれど、人が人以外の何かとセックスするという考えは、ある種の人々にとっては瞬時に拒絶したくなる異常な行為で、そうでなくともどこか禁断の誘惑のような、少なくとも人をドキッとさせる響きを持つ。私たちは、対等な人間同士が愛のためにするセックスが正しいと教えられてきたし、その感覚は時代に応じた修正を繰り返しながら異常なものへの嫌悪感を作り上げてきた。実際はセックスに何を求めるかなんて色々で、自分の魅力を確認したい人もいれば、相手への愛情を示したい人もいるし、その場限りの快楽を追求したい人、お金や情報など何かしらの対価を狙う人、誰かを傷つけたい人、相手の弱みを見つけたい人だっているのに。

 セックスロボットとの性交にも蛸と似たような背徳的な香りが漂うが、ではノーマルなセックスとの境目はどこなのか。そもそもセックスとは何か。セックスに何を求めるのが正しいのか。ロボットには何を求め、何を求めないのか。人形のように文句を言わない売春婦と寝るのと、人間のように情感を示すロボットと寝るのと、どちらが倫理的か。実行したら犯罪になる妄想をロボットで代替すれば犯罪は減るか。湧き出すそんな疑問に、本書は考えうる限りの方法を使って思考の材料をくれる。

 挑戦的なタイトルのこの本は、まずセックスロボットについての関心事を分解し、ロボット、セックストイ、セックスドール、人工知能など多分野の歴史を紹介すると同時に、法や倫理、テクノロジーや生物学などの視点で巻き起こった議論を網羅的に振り返る。やがて読者は人が何を求めて進化してきたのか、といった問いに誘われる。

 人の孤独をテクノロジーの進化のせいにする安易な考えが横行する昨今、愛や孤独とテクノロジーの関係について決して悲観的ではない未来を描こうとする著者の姿勢は前向きで、純粋な好奇心に満ちている。Siriや介護ロボットから、戦死した夫に似た銅像と「交渉」したギリシア神話のラーオダメイアまで遡るこの生真面目な本の最大の魅力は、随所に挟み込まれるトリビアルな記述だ。

 とりわけ「車輪の登場より2万5000年も先立って発明された」セックストイの歴史は興味深く、古代ギリシアではディルドがパンで作られていた、バイブレーターが女性のヒステリーを治療する目的で発明されたなどの所説から、コーンフレークの生みの親であるケロッグがマスターベーション反対運動の活動家として著名だったことまで、聞きなれない雑学には驚かされた。日立マジックワンドやTENGA、セックスドール専門風俗店などの解説も日本語版の読者には味わい深いかもしれない。ちなみに日本でも馴染みのあるロボット「ペッパー」の利用規約には「性行為やわいせつな行為を目的とする行為、または面識のない異性との出会いや交際を目的とする行為」で使用してはならないという条文がある。

 フェミニストを自称する著者の敏感な視点も特徴的だ。「今日つくられているセックスロボットは圧倒的に女性の形をしているものばかり」、Siriなど仮想アシスタントの初代バージョンは全て女性の声、などの指摘にとどまらず、「男性はセックストイを必要としなかったのかもしれない。あるいは男性の場合、性的衝動を感じるには、相手の存在が大きいということが関係しているのかもしれない」という記述には苦笑した。事実、ディルドやバイブの長い歴史に比べて男性器を挿入するためのトイは、物的証拠が何も発見されていないのだという。

 セックスに人が注いできた情熱の大きさを改めて知ることで、宗教や文化が性行為に常に何かしらの制限をかけようと腐心してきた理由も見えてくる。キリスト教が、あるいは各国の文化が作り上げてきた「ノーマル」から外れるものは時に倫理的、法的に社会から排除されてきた。1000年以上前の罪のリストには「女性同士が『男性自身のような器具』を用いて性行為を交わした場合、彼女たちは代償を払わねばならない」という具体的な文言があるし、スコットランドで51歳の男性が自転車とセックスを試み、性犯罪者として登録されたという事例もある。しかし一度このような豊かな歴史を振り返れば、現在ノーマルと信じられているものが一つの可能性に過ぎないこともわかる。体外受精も同性愛のセックスも当然の権利と考えられるようになったのはごく最近なのだ。

 人間そっくりなロボットとのセックスを差し迫った問題ととらえる人はまだ少ないだろう。しかしルンバが床を走り回り、ChatGPTが相談相手にもなる現在、ロボットに何を求め何を求めないかという議論は常に現実の少し後ろを必死について歩いている。ロボットとのセックスを真剣に考えておくことは、私たち人間がどんな愛を求め、どんな願望を抱くか、ひいては人間がいかなる存在であるかを今一度問う、とてもエキサイティングな議論だ。

新潮社 波
2023年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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