『恐怖の正体』
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理由はない。なぜ「それ」が怖いのか
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
人間にとって恐怖の対象は似たり寄ったりで、怖いものは誰もが怖いのだと、子どもの頃は思っていた。でもそんなことはない。虫が怖い人や高いところが怖い人など、怖いものは人それぞれだし、目先の「怖さ」の印象が強ければ、他のもっと大きな恐怖を忘れていることもある。
春日武彦『恐怖の正体』を興味深く読んだ。特定の対象を理屈をこえて怖がる「恐怖症」の人たちの心の機微や、恐怖に直面した人の反応、ホラー映画などで恐怖が娯楽になるからくり、そして永遠の未知である「死」について(すべての恐怖の背後にひかえているラスボスみたいだ)。著者は精神科医として、また個人として経験した事例をふりかえりつつ、「恐怖の正体」のまわりをゆっくりと旋回し、接近を試みる。自身の「甲殻類恐怖症」について詳しく描写しながら、それでも恐怖症になった「理由」には到達できないもどかしさが伝わってくる。「これが怖い」ということは言葉を尽くして説明できるが、なぜそれが怖いかをはっきり言い当てることは精神医学の専門家にもできないのである。
著者の本はいつもそうだが、今回もたくさんのテキストが引用されていて(ホラー小説から現代詩まで!)それも楽しみどころのひとつ。さまざまな人間があらゆる角度から描写した、いわば恐怖の博覧会のようである。恐怖をめぐるブックガイドとして読んでも楽しい。秋の夜長のお供によい一冊だと思います。