ピッツァはもともと貧乏料理だった…イタリアの料理と食文化の奥深さを感じるエッセイ

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貧乏ピッツァ

『貧乏ピッツァ』

著者
ヤマザキマリ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/家事
ISBN
9784106110184
発売日
2023/11/17
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

イタリアと日本をつなぐ貧乏料理への愛

[レビュアー] マッシミリアーノ・スガイ(日伊通訳者&ライター)


代表的なイタリア料理のひとつ(写真はイメージ)

 17歳でフィレンツェに留学。以来、長くイタリアに暮らしてきたヤマザキマリさんが、食の記憶とともに溢れ出す人生のシーンを描いたエッセイ『貧乏ピッツァ』(新潮新書)が刊行された。

 極貧の留学生時代を支えたパスタやピッツァなど、世界の「貧乏メシ」の魅力のほか、「トマト大好きイタリア人」「世界一美味しい日本の意外な飲料」といったイタリアと日本の食文化の比較や、世界の朝食やおふくろの味を紹介した本作の読みどころとは?

 イタリアの北部ピエモンテ州に生まれ、日本の文学や文化に魅せられて約20年前に来日、現在はライターとして主に日本の食文化の素晴らしさを伝えている、マッシミリアーノ・スガイさんが語る。

 ***

 イタリア北部ピエモンテ州生まれの僕は、日本で生活し始めて20年近くになる。日伊通訳者として活動しながらライターへと転身、昨年には『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)という日本の食文化への愛を語った書籍を刊行する機会にも恵まれた。ヤマザキさんのエッセイのファンで、とりわけ彼女が描く母国イタリアには郷愁を誘われていた。その文章はテンポが良くて、読んでいるとジェットコースターに乗っているような気分になるのだ。

 そのヤマザキさんの新刊『貧乏ピッツァ』、そして4年前に刊行された『パスタぎらい』。どちらもイタリアと日本、そして世界での食の経験が綴られたものだが、そのタイトルを眺めていると、イタリアというのはつくづく不思議な国だと思う。同時に、ヤマザキさんのイタリアでの過酷な生活を想像して、よくも耐えることができたなとしみじみ思ってしまう(おまけにヤマザキさんは、トマトやレモン、コーヒーといったイタリアの「名物」も苦手だとか……)。

 多くの日本人は、イタリア料理に対して「美味しくてハズレがない」という印象を持っていると思う。もちろんそれも正解だが、実はその料理の多くが決して裕福ではない人たちに向けて開発されたものだということはあまり知られていない。ピッツァやパスタ(その代表がカルボナーラやブッタネスカ)、そして多くのスイーツ(主にチョコレート系)は、お金持ちが絶対に手を出さないであろう食材を使って作り出されたメニューだ。それが現在のイタリア料理の礎となっている。

 イタリア料理における「世界的スーパースター」であるピッツァも、もともとは貧乏人のための料理だった。小麦粉でできた生地を薄く伸ばして、トマトやフレッシュチーズ、緑色の葉っぱ(要するにバジル)などを載せて焼く――というスタイルの料理は、古代ローマ時代にもあったそう。貧乏人にとって料理の見た目は重要ではなく、満腹になりさえすれば大成功だ。ヤマザキさんが“イタリアの素うどん”と表現する「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」というパスタは、パスタをオリーブオイルとニンニクと唐辛子と炒めるだけで完成。これ以上にシンプルなパスタはない。数分で作れてしまう貧乏料理の代表だ。

 ヤマザキさんはトマトが苦手らしいが、イタリアにいるとトマトにまつわるエピソードには事欠かない。夏の終わりに家族が集まり、数日かけて「トマトソース」を作るのが毎年の恒例行事だ。イタリア以外の国に住んでいると、毎年数十キロのトマトを使って半年分のトマトソースを作る必要があるの? と思われるかもしれないが、これも生き残るための知恵で、イタリアの伝統的な食文化のひとつなのだ。家族でコミュニケーションを取り合いながら、大切なトマトを捨てずに寒い時期でも美味しく食べられるよう、心を込めてトマトソースを作る。イタリアの皿には一年中、赤色があるのだ。そのおかげで、曇った真冬の日でも夏を感じられる。

『貧乏ピッツァ』には、ヤマザキさんが日本の素麺をイタリアの家族に振る舞うシーンがある。家族の「これ、カペッリーニじゃないの。へえ、日本にもあるのね、カペッリーニ」とか「このパスタ、味がしないわね。塩を入れ忘れたんじゃないの」といったリアクションがおかしい。日本に住み始めて長い僕は、どちらの気持ちも理解できるので余計に面白い。そうした食文化の違いに気づかされるのも、本書の魅力だ。

「イタリア版のポトフ」と言える肉と野菜を煮込んだ「ボッリート・ミスト」も、『貧乏ピッツァ』では印象的な形で登場する。ヤマザキさんはそれを「日本のおでんに近い」と表現していたが、それを読んで僕はピエモンテの寒い冬を思い出した。子供の頃は口に合わなくて、好きではなかった料理だ。大きな肉の塊とそのままの人参や玉ねぎを数時間煮込むシンプルな料理だが、当時の僕は見るだけで逃げ出したくなっていた。しかも、一度にかなりの量を作ることになるので、週の半分は「ボッリート・ミスト」が食卓に……。それもあって苦手だったのだが、日本に来て一人暮らしが長くなると、一度作ればしばらく他の料理をしなくても大丈夫なこの料理のありがたさを痛感した。今では大好きな料理だ。

「インサラータ・ディ・リゾ」も懐かしい。こちらは打って変わってイタリアの夏を代表する料理。よく母親が作ってくれたのを思い出す。「ボッリート・ミスト」と違って僕の大好物だ。日本語で言うと「米のサラダ」。茹でたお米に茹で卵、オリーブ、野菜、ツナの缶詰などを混ぜ入れて冷蔵庫で冷やす。この「インサラータ・ディ・リゾ」も、冷蔵庫にある食材でサッと作れる貧乏料理の系譜にあるもので、それなりの量を作り置きしておけば、しばらく料理をしなくても美味しく食べられる。

 ヤマザキさんがこの『貧乏ピッツァ』というエッセイで描くのは、ただ単にその国の料理や味の話ではなく、食を通じて見えてくるその地域のユニークさや、大切な人々と過ごした時間だ。その象徴が「世界の『おふくろの味』」というエッセイで、そこでは日本の肉じゃがから「パスタ・エ・ファジョーリ(マカロニと野菜と豆を煮込んだ料理)」、ブラジルの「フェイジョアーダ(肉と豆の煮込み)」までが紹介されている。それが貧乏料理でも、母親の「アモーレ(愛)」と工夫があれば、食事の時間は最高の思い出になる。イタリアと日本、たとえ話す言語が違っていたとしても、日々の食事に対する感謝の気持ちは共通している。日本語の「いただきます」「ご馳走様です」とイタリア語の「buon appetito」「grazie」には、いずれも「アモーレ(愛)」が隠れている。

 イタリアで過酷な生活をしていたヤマザキさんは、「イタリアに限らず日本だろうと世界のどこであろうと、貧乏や困窮した社会を反映しているような、慎ましい食べ物が好きなのである」と語るように、たとえ貧乏料理でも食への感謝を忘れない。

 貧乏生活を支えたイタリア料理への愛と感謝を語るその瞬間、ヤマザキさんはイタリア人の目線になる。それによって、イタリアの料理と食文化の奥深さを感じることができる。イタリアに生まれ育ち、現在は日本で生活をしている僕は、ヤマザキさんとは逆の立場だけど、そうしたヤマザキさんの食への姿勢を見習って、日本料理やイタリア料理への愛を忘れないようにしたい。

新潮社 考える人
2023年12月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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