出生と自己責任論に絶望……「親ガチャ」問題を哲学者と臨床心理士が語る

対談・鼎談

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親ガチャの哲学

『親ガチャの哲学』

著者
戸谷 洋志 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784106110238
発売日
2023/12/18
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

親ガチャを超えるために

[文] 新潮社


戸谷洋志さんと東畑開人さん

“生まれるのは偶然、生きるのは苦痛”と言うけれど――。自己責任論でもなく、責任概念の放棄でもなく、〈親ガチャ的厭世観〉から抜け出せるヒントとは?

『親ガチャの哲学』を刊行した哲学者の戸谷洋志さんと、現代人の心の問題に向き合ってきた臨床心理士の東畑開人さんが、「親ガチャ」問題の本質を語り合った。

東畑開人×戸谷洋志・対談「親ガチャを超えるために」

東畑 戸谷さんの『親ガチャの哲学』(新潮新書)、大変面白く読みました。親ガチャという問題を扱おうと考えたきっかけは何だったんですか?

戸谷 「親ガチャ」の問題は、実は僕の中では結構前から気になっていたんです。2017年に南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターの『生まれてこないほうが良かった』という反出生主義の本が翻訳されたとき、かなりのブームになったことに違和感を覚えたのが始まりでした。

東畑 本の中では、『ONE PIECE』や『進撃の巨人』から反出生主義を説明していましたが、要するに「生きることは明らかに快楽よりも苦痛の方が大きいので、人間は生まれてこない方が正しい」という考え方ですよね。

戸谷 はい。研究者の中では前から知られていて、学術的にはそこまで影響力のある思想ではなかったのですが、一般の人がシンポジウムに押しかけてくるぐらい、世間での反響が凄かったんです。そのギャップの激しさに僕自身打ちのめされてしまって……。

東畑 というと?

戸谷 反出生主義的な思想、つまり「人間は生まれてこない方がいいんだ」という思想を学術的に言ってくれることを、世間が求めている。僕には、それが救いのないニヒリズム(虚無主義)に見える。これは一体、何がもたらしているのだろうかと。

東畑 なるほど。ニヒリズムという言葉自体は結構手垢がついていて、今まで真面目に考えたことがなかったのですが、聞いていて切実な問題だなと思いました。よく考えてみると、心の問題を抱えるとは、ある種のニヒリズムに覆われるということでもありますね。希望が消えて、絶望に包まれる。

戸谷 一方で、「反出生主義」や「親ガチャ」に漂うニヒリズムを、単に個人の問題として終わらせてはいけないとも感じたんです。

東畑 親ガチャについて戸谷さんは「社会の責任」と「自分自身の責任」、両方の視点から扱っていましたよね。これは心の臨床でいう、社会モデルと個人モデルですね。車いすの人が階段教室に入れない。このとき、その人の足に問題があるわけではなく、教室にスロープがないことが問題である。そのように環境側に問題を見出し、改善をしていくのが社会モデルです。僕もカウンセリングに来る人たちと話していて、最初はそうやって外側の問題を考えます。暴力を止めたり、足りないものを供給するという発想です。ただ、時々社会の側ではなく、やっぱり自分内部の問題として引き受けなければいけない悩みもあるなと感じることがあります。そういうときに、個人の中に問題を見出す個人モデルが発動されます。

戸谷 近代哲学の枠組みの中では、人間というのは自由な意志を持っていて、自分の人生をその意志を持って選択ができる。だから、それによって引き起こされた結果については自分で責任を負わなければいけない、とされてきました。

東畑 いわゆる自己責任論的な考え方ですね。

戸谷 はい。ところが20世紀になってナチスドイツが台頭し、組織の命令に抗いがたく、集団に同調してしまう側面が人間にあると明らかになる中で、必ずしも我々は自分の意志で自分の行為をしているわけではないことが分かってきます。「責任の問題」は、実は未だに決着のつかないテーマなんです。

新潮社 波
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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