瀬川貴次『紫式部と清少納言 二大女房大決戦』(集英社文庫)を、たらればさんが読む まさに、平安文学好きの夢!
[レビュアー] たられば(編集者)
まさに、平安文学好きの夢!
これは偏見ですが、平安朝文学が好きな人の多くは、紫式部と清少納言を比べて「どちらが好きか」とか「実際に会ったらお互いどんなことを言い合うか」などと延々と考えたことがあるはず。わたくしもよくそんなシーンを思い描いて、妄想の翼を広げています。
本書はそんな「平安文学好きの夢」を固めて小説へ昇華した作品です。
紫式部や清少納言の人物伝や研究書を何冊も読むような人は、本書で登場する「納言と申しぁす」と名乗る清少納言や、和泉(いずみ)式部に「和泉さん」と呼びかける紫式部に、えっ……と感じるかもしれません。わかる。いわゆる「飛影(ひえい)はそんなこと言わない」問題ですな。
しかし、そういう「自分なりの紫式部」、「わたしにとっての清少納言」をそれぞれ心の内に住まわせている皆さんも(つまりわたしのような面倒くさい古典オタクも)、読み進めると、やがて「この作品世界の紫式部と清少納言」に馴染んで、二人のやりとりや興奮、喜びや悲しみに同調できるようになるでしょう。ある種の異世界、ジョージ・ルーカス監督の宇宙では爆発音が響くように、吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生の大正時代には鬼が人を喰うように、楽しめるはず。太鼓判つきです。
それは本作の「作品世界同調への誘因力」の源泉が(作者の筆致や構成のうまさもあるのですが)、この作品のテーマの根底にある「創作の悩み」へとつながるからだと読みとりました。
主人公である紫式部は、作中まさに『源氏物語』の執筆中です。キャラクターと舞台設定に悩み、自身の経験と照らし合わせ、想像が及ばないと嘆き、他人から「早く続きを」と急(せ)かされ凹(へこ)み、それでも書く。書くしかないから。そういう創作の悩みは、きっと千年前も今も同じだと信じられるから。
平安文学入門者の皆さんは、ぜひ本書を楽しんで紫式部や清少納言のことをもっと好きになってほしいし、作者はぜひ次回作で「この世界」の続きをお願いいたします。
たられば
たられば●編集者