謎の編集者・たらればが紹介する、古典の醍醐味を味わえる3冊

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「それでも変わらないもの」を伝える三冊

[レビュアー] たられば(編集者)

Twitterのフォロワー数が19万を超える謎の編集者・たらればさんが、古典の醍醐味を味わえる新潮文庫3冊を紹介してくれた。

たられば・評「『それでも変わらないもの』を伝える三冊」

 先日調べものをしていて、iPhoneの日本発売が二〇〇八年七月だと知って愕然としました。スマホはわずかこの十二年間で、日々の生活やコミュニケーションを大きく変えてしまいました。

 そしておそらく、十二年後の生活やコミュニケーションだって今とはまったく変わっているだろうとも予測できます。

 だとしたら、何を積み上げていけばよくて、何を信じればいいのでしょう。そんなとき、たとえば千年前の古典文学を読んでいると、人間の何が変わって、何が変わらないかを再発見して安心することがあるのです。

 もちろん千年前を生きた作者とわたしたちでは、使う言葉も生活様式も、人間に対する考え方もまったく違います。

 それでも、春の朝日に感激したり夏の夜の雨に趣を感じたり、好きな相手から手紙が届かなくてクヨクヨしたり振られて泣いたり、人間はいつでも人間で、変わらないものもあるんだと安心できる。今回はそんな「古典の醍醐味」を味わえる三作品をご紹介します。

「古典文学作品を読んでみたいのですが、何から手をつければよいですか」と、SNSで質問を受けることがあります。よくそんな雑な質問を……と頭を抱えつつ、とはいえ鉄板の作品としてわたしがよく薦めるのが、小倉百人一首です。

 小倉百人一首って、柿本人麻呂、大伴家持、小野小町、在原業平、紀貫之、藤原道綱母、紫式部、清少納言、そして『新古今和歌集』の選者でもある藤原定家や後鳥羽院……と、飛鳥~奈良~平安~鎌倉初期の古典作家「全部盛り」なコンピレーションアルバムなんですよね。

 そんな百人一首の「味わい方」を独特な視点で紹介するのが、白洲正子氏の『私の百人一首』です。日本文化と美意識にこだわり続けた白洲氏が、「自分の感触だけは見失いたくない」として書いた百人一首の手引き書は、読んでいると不思議と「自分自身の百人一首」が見えてくるのでした。

 また前述の「雑な質問」にはもう一パターンあります。それは「『源氏物語』を読んでみたいのですが」というもの。

 与謝野晶子や谷崎潤一郎、橋本治や瀬戸内寂聴などなど、錚々たる作家がそれぞれの解釈と文体で『源氏物語』の現代語訳を刊行しています。そして多くの人が「よし読んでみよう」と手に取り、途中で挫折してきたはず。それがなぜわかるのか。『源氏物語』にはわたしも何度も跳ね返されたからです。いやお恥ずかしい。何度も何度も挫折したわたしが『源氏物語』を通読できたのは、いきなり本文に挑まず、まずは筋書きを記した「ガイド」を頭に入れていたからです。

 阿刀田高氏の『源氏物語を知っていますか』は、『源氏物語』という日本文学の最高峰に登頂するうえで最良のガイドのひとつです。阿刀田氏の流れるような講談調の解説を読むと、光源氏や紫の上、六条御息所や朧月夜が「キャラクター」として動き出すのがわかって、なにより作家としての紫式部の息遣いが聴こえてきます。この息遣いを覚えておくことこそが、あの大著を完走するほとんど唯一の方法なのだと思うのです。

 そして日本文学における古典の代表的な伝道師といったらやっぱり田辺聖子氏であり、田辺氏の一冊をといえばこれ、『文車日記』がお薦めです。

 この本は『萬葉集』から新・旧約聖書(の日本語訳)、額田王から松尾芭蕉まで、田辺氏が好きな作品を好きなように語っていて、しかもその視線、語り口がまったく「やさしくない」ところがいいんですね。恋を語るときはとびきりロマンチックな筆遣いなのに、たとえば清少納言は「石女ではなかったか」と書き、井原西鶴は「屈折の多い、いやな中年男」と書く。少女のようなあどけなさと残酷性が共存していて、このギャップこそが「田辺文学」の真骨頂だといえるでしょう。

 やや駆け足で紹介してきましたが、コロナ禍でわたしたちの世界と日々の生活は、大きく変わってしまいました。しかし、それでも、変わらないものはあるはずです。そうしたものを見つけるのに、不安に追いつかれないために、「古典」は最良の宝箱のひとつだと思うのです。 

※[私の好きな新潮文庫]「それでも変わらないもの」を伝える三冊――たられば 「波」2021年3月号より

新潮社 波
2021年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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