『世界のロシア人ジョーク集』
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【毎日書評】多くの逸材を生んだロシアの芸術を「ジョーク」で楽しむ
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
ロシアについて思いを馳せる際、当然ながら目を離すわけにいかないのは、長引くウクライナ戦争の動向です。しかし、そもそも日本にとってロシアは「お隣さん」でもあるのです。そのため、根本的な考え方や行動原理もまた気になるところではないでしょうか?
そこでおすすめしたいのが、『世界のロシア人ジョーク集』(早坂 隆 著、中公新書ラクレ)。その名のとおり、世界各地で人気のある「ロシアジョーク」「プーチンジョーク」を通じ、ロシアの歴史や政治、文化、民族性などへの理解を「楽しみながら」深めていこうという趣旨のもとに書かれたものです。
「国としては怖いが、一人一人は素朴でいい奴が多い」とも言われるロシア人。文学や音楽の分野で、卓越した芸術性を見せるロシア人。イギリスの政治家で作家でもあったウィンストン・チャーチルは、ロシアについて「謎の、そのまた謎の謎」と評した。
謎をまた別の謎が包む。まさに人形の中に人形を隠し持つロシアの民芸品、マトリョーシカ人形のようである(余談だが、マトリョーシカ人形のルーツはそれほど古くなく十九世紀末頃で、日本の箱根の「入れ子人形」がその原点だという一説がある。箱根を訪れたロシア人が、お土産に持ち帰ったのがルーツだという説である)。(「はじめに」より)
そんな余談の真偽はさておき、「では、どうしたら“マトリョーシカ人形の中身”に迫ることができるのだろうか」というのが本書の趣旨。
ロシアの詩人フョードル・チュッチェフは「知にてロシアは解し得ず」と書いているそうですが、だとすれば小難しい学術論文よりも、ジョークを通じた鋭い風刺のほうが、理解へのよきヒントになるかもしれないーー。そんな考え方が根底にあるわけです。
きょうはそんな本書のなかから、多くの逸材を生み出してきた「芸術」に焦点を当ててみたいと思います。
ドストエフスキーやトルストイを輩出
19世紀にはドストエフスキー、ゴーゴリ、トルストイ、ツルゲーネフ、20世紀にはゴーリキー、ショーロホフ、ブルガーコフと、ロシア(ソ連)は文学界の巨匠を輩出しました(ただし厳密にいうと、ゴーゴリとブルガーコフはウクライナ出身)。
ローマ・カトリックとは異なる正教を取り入れたロシアでは、当然ながらルネサンスも宗教改革も経験することはありませんでした。しかし、そうした特異性がロシア文化のオリジナリティと民族的アイデンティティを育む土壌になったわけです。
もちろん日本人にもロシアやロシア文学に影響を受けた人は多く、作家でいえば二葉亭四迷がロシア語に通じていたことも有名な話かもしれません。
彼は学生時代からロシア語を学び、原稿に行き詰まるとまずロシア語で書いてみて、あとからそれを日本語に翻訳したというのですからかなりのもの。また、ツルゲーネフの翻訳書(『めぐりあひ』『かた恋』など)も手がけています。
ドストエフスキーやトルストイは、『ナロード(ロシアの民衆)』の姿の中にこそロシアの本質があると捉え、彼らの感情と生活をていねいに描写しました。とくにドストエフスキー『罪と罰』の主人公であるラスコーリニコフが抱える悩みは、人種を問わず、世界中の読者から支持されていることで知られます。
しかしドストエフスキーに関しては、「やたらとほめすぎる必要もないかもしれない」とも著者は述べています。理由は、私生活では大の博打好きで借金だらけ、女性関係もかなり派手だったといわれているからだそう。(224ページより)
悲劇
ロシアの三流作家が新聞記者に言った。
「実は私はね、トルストイが亡くなった日に生まれたんだよ」
新聞記者が言った。
「その日はロシア文学にとって二つの悲劇でしたね」
(225〜226ページより)
チャイコフスキーもラフマニノフも
一方、音楽の世界では、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーらが世界的に有名です。
とりわけ日本人からも人気の高い作曲家であるチャイコフスキーは、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」などのバレエ作品によって多大な支持を得ています。
「チャイコフスキーの三大バレエ」と称されるこれら3作品は、そのまま「世界3大バレエ」と言い換えることができるでしょう。
なお「白鳥の湖」は1877年、世界に冠たる名劇場であるモスクワのボリショイ劇場で初演されています(余談ながら、「ボリショイ」は「大きい」という意味)。そして1909年には、「ロシア・バレエ団」がパリで旗揚げされています。
主宰は、ロシアの総合芸術プロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフ。当時はまだ若かったストラヴィンスキーも、ディアギレフから作曲の依頼を受けたりしています。
いずれにしてもこうした動きのなかでバレエは総合芸術として認知されることになったため、ボリショイ劇場には各分野で活躍する多くの才能の持ち主が集結したのです。有名なところではパブロ・ピカソも、舞台装置や衣装の制作に参加したことがあるようです。
日本では年末になるとベートーヴェンの「第9(交響曲第9番)」が演奏されますが、欧米諸国では「くるみ割り人形」が定番。なおバレエそのものの発祥地はイタリアですが、世界のバレエは「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成熟した」といわれています。(226ページより)
フィガロの結婚
ロシア人の社長が部下たちに言った。
「明日の日曜日はみんなで『フィガロの結婚』に行こう」
翌日、部下たちはスーツ姿で現れた。彼らはみんな、花束やプレゼントを手にしていた。社長は首を横に振りながら言った。
「おいおい、おまえたち、いったい何のつもりだ?
『フィガロの結婚』というのはオペラの名前だ。みんなで劇場に行こうと私は言ったんだ。まったく教養がないというのは恥ずかしいことだ。
すると一人の部下が答えた。
「そうでしたか。それは失礼しました。でも、許してください。社長だって以前、『白鳥の湖』に誘ったら、釣り竿を持ってきたじゃないですか。
(227〜228ページより)
本書のバックグラウンドにあるのは、「罵詈雑言や中傷、差別などではなく、あくまでもユーモアを通じての風刺を大切にしたい」という思い。
たしかに適度な笑いを交えながら批判や批評に臨むことこそが、あるべき大人の姿勢であるといえるのではないでしょうか?読み物としても楽しみのある本書を、風刺を楽しみながら国際情勢について考えるきっかけとしたいものです。
Source: 中公新書ラクレ