『夜更かしの社会史』
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『夜更かしの社会史 安眠と不眠の日本近現代』近森高明/右田裕規編
[レビュアー] 清水唯一朗(政治学者・慶応大教授)
眠りに求めた効率や質
夜が無限に続くように感じるのはなぜだろう。誰にも止められず、ついつい夜更かししてしまう。そんな日が続くと、今度はもっと深く効率よく眠りたいと思う。なんとも欲深い。
生理的な欲求、娯楽の希求、そして効率の追求が重なるこのテーマに、かつて『夜食の文化誌』をまとめた社会史の書き手たちが集った。彼らは、個人の営みではなく、社会の集合的な営みとして睡眠を捉える。
夜更かしは農村の集団労働から始まる。機械が普及すると都市で深夜操業が広まっていく。夜は次第に明るくなり、眠らない街が生まれると、寝てはならない業に加えて、起きていたい欲が睡眠を支配する。戦争による統制がこれを奪うと、ある文化人はまるで動物のようだと嘆いた。夜更かしそのものが近代の果実であり、自由の象徴だったからだ。
戦後、人々は再び夜更かしの自由を手にした。より長く起きていたいという欲は、よりよく眠りたいという願望と強く結びつき、睡眠の商業化として花開く。ヒロポン、コーヒー、電気あんか、『おやすみ、ロジャー』から睡眠学習器まで、実に多彩な商品が生み出された。欲望を満たすためとはいえ、これについつい飛びついてしまう人の姿はなんとも愛らしい。
現代はややゾッとする。睡眠の質が可視化され、眠りはマネジメントの対象となった。よりよい眠りがよりよいパフォーマンスをもたらす手段とされる。技術とライフハックで誰もが超一流の域に達することができるのだという。
そうだろうか。規範を乗り越え、それぞれの眠りを追い求めてきた近代が過度な管理化に行きついていないかと編者は問う。そう、ナポレオンや渋沢栄一の眠りだけを真似(まね)しても自らを見失うだけだ。眠るも夜更かしするも、私たちが得た自由なのだから。
原稿はでき、日付も変わった。今日は自分の眠りを楽しんでみよう。おやすみなさい。(吉川弘文館、4180円)