『恐るべき緑』
- 著者
- ベンハミン・ラバトゥッツ [著]/松本 健二 [訳]
- 出版社
- 白水社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784560090909
- 発売日
- 2024/02/20
- 価格
- 2,750円(税込)
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『恐るべき緑』ベンハミン・ラバトゥッツ著
[レビュアー] 池澤春菜(声優・作家・書評家)
科学者たち 数奇な「物語」
世界が動いた瞬間がある。世界を動かした人がいる。後世から見たときに、メルクマールとなる出来事と人物に光を当てる短編集。
「プルシアン・ブルー」で描かれるフリッツ・ハーバーは、二十世紀で最も重要な化学的発見と言われるハーバー・ボッシュ法で空気中の窒素を固定し、化学肥料の大量生産で食糧事情に大きく貢献した化学者。「世界人口の半数以上がハーバーの発明による肥料で育てられた食糧に依存している」。けれど彼が発明した殺虫剤ツィクロンは、アウシュビッツ強制収容所でガス殺に用いられた。化学者であった妻クララは彼への抗議のために拳銃自殺を遂げている。
シュヴァルツシルトとアインシュタイン、二十世紀を代表する二人の天才の交流と、人生の明暗を描く「シュヴァルツシルトの特異点」。
「核心中の核心」は望月新一とグロタンディークという稀代(きたい)の数学者二人の接点と、型破りとも呼べる人生を。
中編「私たちが世界を理解しなくなったとき」は物理学者ハイゼンベルク、ド・ブロイ、シュレーディンガーに訪れるヴィジョンと発見。
ごく短い「エピローグ 夜の庭師」では、それまでに出てきた科学者の為(な)したことが日々の生活と結びついて語られる。
何とも不思議な本だ。評伝とも物語ともつかない。望月新一について「人物像や経歴や研究内容について、ここで語られていることの大半はフィクションである」と作者は謝辞で語る。
物語ることには力がある。影響力がある。それは時に誰かを傷つけたり、事実を歪(ゆが)めたりすることもある。けれど科学者たちを取り巻く時代の熱狂、科学への熱狂を描くには、フィクションとノンフィクションを取り混ぜたこの方法しかなかったのかもしれない。科学は、そして物語は時として暴力を伴い、不可逆的に歴史を変えてしまう。その双方が持つ危うさと魅力を考えさせる一冊。松本健二訳。(白水社エクス・リブリス、2750円)