“愉快な座談者”としてのカントが語る「人間学」
[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)
この欄にカントの名前を出されると、驚かれる読者も多いと思う。なにしろカントは、明治以来、難しい哲学の本の著者として知られてきているからである。しかしカントには、難しい思索をする哲学者とは別の面があった。それは、愉快な座談者としてのカントである。彼は、午前中に授業を終えると、ゆっくりと午餐を摂るのが通例であった。白ワインと鱈等が好物であったと伝えられている。そしてケーニッヒスベルグの市民達と自宅で会話を楽しんだのである。
例えば、トルコ人がヨーロッパを旅行してその国々の性格をのべたら、次のようになるであろうと言っている。「すなわち1は、流行の国(フランス)――2は、気まぐれの国(英国)――3は、家柄の国(スペイン)――4、虚飾の国(イタリー)――5、称号の国(ゲルマン民族としてのデンマーク、スエーデン及びドイツ)――6、主人の国(ポーランド)」等と区別してみせているのである。このような分類が当たっているかどうかは別として、カント自身の観察が加わっているので面白いのではないか。
また、人間関係については次のようにも言っている。
「とくに若い男子の結婚以前の道徳的性質を探知しようとするなどは、決して妻のなすべき事柄ではない。妻は夫を改善しうると信じている。すなわち理性ある婦人は、行状の悪い夫をもきっと正道に引き戻しうるというのである。」(しかしそれはだめなのだという。)
この様な発言には、今の世では批判的な人もいるであろうが、カントはそのように観察していたのである。あるいはまた、こうも言っている。
「結婚生活そのものにおいては、女は自身が一般の人に気に入るように努めなくてはならぬであろう、それは彼女が若い寡婦にでもなったときに、新らしい求婚者を見出しうるためである。」
今では、これには腹を立てる女性も多いであろう。またカントは、人間の容貌などについても面白い観察をしているのだ。たとえば悪人の悪人顔でも、死ぬ時は筋肉がゆるんでいい顔付きになるなど。