あなたは今、どんな書体で読んでいますか?/鳥海修【前編】 神楽坂ブック倶楽部イベントレポート

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■夏目漱石にふさわしいのは?

 いよいよ小説にあった書体を選ぶわけですが、その前にもう一つ、書体と密接な関わりを持つ「組版」についてお話しします。

図9
図9

 まず、岩波の『漱石全集』(図9)。これ、僕が浪人していたころに買って、すごく大事にしていた本です。読むと頭がよくなるような気がするんですよ。そんな気、しません? こんなこと言ってるから二浪したんです。(会場笑)これは精興社という印刷会社の精興社明朝体で組まれていて、漢字が大きくて、仮名が小さいのが特徴です。それでこの余白や行間がうまれて……という、こういったすべての要素が僕は大好きです。書体を作る上で、僕にとってはこの組が一つの基準になっているような気がします。ただ残念なことに、のちの『漱石全集』は、写研の本蘭明朝で組まれています。僕、その新版が出版されたころちょうど写研にいたから、本蘭には申し訳ないけど、正直ガッカリしました。

図10 右は旧版の岩波文庫、左は現在の岩波文庫。
図10 右は旧版の岩波文庫、左は現在の岩波文庫。

 というのは、本蘭明朝体はとてもよくできた書体で、文庫など小さなサイズで読むのには適しています。明るくて、モダンなんです。だけど明治の文豪の作品にはちょっと軽すぎるように思うんです。
 それから、新旧の岩波文庫です(図10)。右が古くて左が新しいんですが、古い方、字が小さくないですか? 昔はこういうのをポケットに入れて、やっぱり頭がよくなる気がしてた。なんだかほら、すごくいいことが書いてありそうじゃないですか。決してふざけていない感じがして。新しい方は多少文字が大きいですが、今ではさらに大きくなっているんじゃないでしょうか。
 活字を大きくするのって、昔は大変だったんですよ。金属活字の時代は一文字ずつのボディ(一文字分の大きさの四角い枠)を並べて組んでいたわけで、大きさを変えるにはそのボディごと変えるしかなかった。だから当時は、決められたボディの内にいかに読みやすい文字をデザインするかがきちんと考えられていたんです。ところが今は、写植にしてもDTP(コンピュータを使用した組版)にしても、設定でポイント数や級数を変えれば、アッという間に大きくできちゃうので、サイズ毎にデザインするという工夫が忘れられているような気がします。
 先ほど講談社の方と名刺交換させていただいて、非常に言いづらいのですけれども、光文社文庫(図11の右)と講談社文庫とは、見た目は全然違いますが、どちらも本蘭明朝を使っていました。お手元の例を見て、率直に、どっちが読みやすいと感じますか。講談社文庫が読みやすい方(ぱらぱらと挙手)、光文社文庫が読みやすい方(9割強が挙手)、おお! やっぱり。この違いの秘密は「組」にあります。
 どうなっているのかというと、光文社は割合普通の組み方をしていて、講談社のほうは文字の大きさと字間が調整されてます。現在の活字は、「仮想ボディ」と呼ばれる枠をつなげて組を作ってるんですが、講談社文庫では仮想ボディをやや大きくして、かつ少しずつ重ねてるんですね(重なりの幅はすべて均等)。
 なぜそうしていたかというと、当時の写研営業マンの提案だったそうです。最近、本を読む人の年齢が上がってきたので文字を大きくしなければいけない。ところが、文字を大きくすると一頁に収まる字数が減って頁数が増える。するとお金が余計にかかって、最終的に本の値段が上がってしまう。じゃあ字間をつめましょう、ということになったようです。

図11 右は光文社文庫、左は読みやすくなった講談社文庫。
図11 右は光文社文庫、左は読みやすくなった講談社文庫。

 でもそんなことをすると、平仮名が多い部分はまだしも、漢字が続く箇所ではかなり読みにくい。時代小説の人名などで漢字が連なるところがあるじゃないですか。するともう、「アダダダダダダ!」って感じになっていた。これはなんとかしたほうがいいですよという話をして、今は本蘭明朝ではなくヒラギノ明朝を使っていただいて、少ーしだけ字間にゆとりをもたせています(図11の左)。
 先ほど、以前の講談社文庫が読みやすいとおっしゃった方は、大変申し訳ないんだけど年配の方でした。だからやっぱりどんな書体や組が読みやすいのかは、一概に言うことはできないですね。
 次は新潮文庫です(図12)。書体は秀英細明朝。ベタ(かつての講談社文庫のように字間を調整しない状態)で組んでます。これはすごくきれい。この小説ってすごい短くて、かつ組が他の新潮文庫よりゆったりしているんです(一般的に新潮文庫の本文組は38字×16行、図12は35字×13行)。ちゃんと文字を大きく、かつ美しく見せるようなデザインになっていますよね。

図12
図12

 最後は講談社の名作文庫(図13)。これは写研の石井細明朝体-NKLという、名品と呼ばれる書体です。でも組としてはあまりよくないですね。何というかこの書体って、小さな級数で読ませる文字としてちょっと印象が弱すぎるんだと思います。大半の活字は、例えば「の」のはらいの先端など、ちょっと太めに作ってあります。

図13
図13

 ところが、この石井明朝は本当に筆で書いたような、スーッと抜けていくようなデザインなんです(図14)。で、これをさらに転写してオフセット(印刷に使う版)を作るので、「の」のはらいなんか、もうすんごく頼りなく、消えていく感じになります。だから全体の印象が弱くなるんですね。

図14
図14

 それでは、前置きが大変長くなりましたが、今回のメインテーマに入ります。ずばり、「この小説にはどの書体を選べばよいのか」。

新潮社 波
2017年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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