受難――あるテントウムシの物語 『えげつない! 寄生生物』試し読み

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Case 11 受難――あるテントウムシの物語

 僕は昆虫界の愛されキャラクター、テントウムシだ。ゴキブリなんて同じ昆虫でも世界中で嫌われているのに、僕たちは多くの人に好かれている。
 この真ん丸で赤い背中に斑点という姿が好感を呼ぶのかもね。
 僕たちは英語では「Ladybug:レディーバグ」なんて呼ばれているんだ。
 僕はオスだけど、それでも Lady(レディー)が付くよ。しかも、この Lady は聖母マリアっていう意味なんだ。僕たちは人間の農作物を荒らすアブラムシをたくさん食べるから、人間たちにとっては聖母みたいな存在なのかな。
 人間たちは僕たちを見つけると、「かわいいー」なんていうけど、こう見えても僕たちはとっても防衛能力が高いんだ。
 この赤や黒のきれいな斑点は、鳥たちにとっては警戒色だから気持ち悪がって僕たちを食べようとはしない。もちろん、僕たちを食べようとして、口に入れる動物もいるけど、その時は脚の関節から強い異臭と苦味がある有毒な黄色い液体を出してやるんだ。そうすると、僕たちを食べた動物はあまりのまずさにすぐに吐き出すし、次から僕たちを狙わなくなる。
 だから、僕たちにはあまり敵はいないんだ。
 だけど、僕たちにも恐れているものはいる。
 それは、時々僕たちに寄ってくる小さなハチだ。
「近付いてくる小さなハチには気をつけろ」って耳にタコができるほど仲間から言われていた。
 僕はこれまでそんなハチに出会ったことはなかったから、本当にそんなハチがいるのかな、なんて少し疑っていたけど、少し前、僕を狙って針を刺そうとするハチにはじめて遭遇した。そいつは、僕ににじりよってきて、針を刺そうとしてきた。僕はとにかく必死で抵抗した。気づくのがあと一瞬遅かったら、あの針に刺されていたと思う。
 だけど、僕はそいつを防ぐことができた。
 そいつは僕を狙うのを諦めたのか、あたりを見渡し始めた。そして、次の瞬間、隣の木でがむしゃらにアブラムシを食べている仲間の方に飛んで行った。
 仲間はハチに気づくのが遅くて、針を刺されてしまった。そのせいだと思うけど、仲間は動きが鈍くなっていた。
 その間に、ハチはもう一度、仲間の脇腹のあたりに何かを刺したように見えた。
 僕は心配になって仲間のところに駆け寄ったけど、その時にはもう仲間は普段通り動けるようになっていた。
 そして、何事もなかったようにまたアブラムシを食べ始めたんだ。
 ハチに刺された仲間は次の日もその次の日も必死でアブラムシを食べていた。その様子がなんだか鬼気迫っていて、僕はその仲間が心配で少し離れたところから毎日見守っていた。

 そうして数日がたったある日。
 仲間は急に動くのをやめた。そして、次の瞬間、仲間の腹から巨大なイモムシがゆっくりと這い出てきた。
 僕は恐怖で身動きが取れなかった。
 その巨大なイモムシは仲間の腹から完全に出ると、もう一度、仲間の腹の下に移動した。そして、糸を吐きながら繭を作った。その繭は仲間と同じくらいの大きさだった。
 仲間は、その巨大な繭を抱く形で動きを止めたままだ。
 僕はその異形がひどく恐ろしかった。
 だけど、死んでしまえば、仲間はもう苦しまずに済むと思って少しだけ安心した。
「ちがう!」
 仲間は死んではいなかった。
 繭を抱きながら、時々動いている。
 目を凝らしてよく見ると、繭を食べようと狙って近づいてくる虫たちを足で蹴飛ばして追い払っている。
「なんてことだ……」
 もう仲間はきっと僕たちの元には戻ってこないだろう。

 この時、僕はそう確信した。
 それが覆されたのは、たった1週間後のことだった。
 仲間は、何事もなかったかのようにまた僕の前に現れた。
 もちろん、巨大な繭なんてもう抱いていない。
 ただ、僕の前で以前と同じようにアブラムシを美味しそうに食べていた。
 僕が見ていたのはきっと夢だ。
 そう思わなければ、僕の頭がおかしくなってしまいそうだ。だから、僕は今まで見てきたことを全部夢だと思うことにしたんだ。

Case 11  あるテントウムシの受難

脳細胞を破壊され
体中は食い荒らされても
寄生バチを守り続ける
テントウムシの悲劇

 テントウムシは、コウチュウ目テントウムシ科に分類される昆虫の総称です。テントウムシは英語圏では「Ladybug:レディーバグ=聖母のムシ」と呼ばれ、農作物を守ってくれる益虫ととらえられています。

 日本では、テントウムシは「天道虫」という字を書きます。天道とは太陽のことです。テントウムシは太陽に向かって飛び立つという習性をもちます。そのために天道(太陽)に向かって飛ぶ虫ということでテントウムシと名づけられています。

 ゴキブリが近くにいたら「ギャー!」と叫んでしまう人が多いのに対し、テントウムシが近くにいてもほとんどの人は叫んだりしません。テントウムシを題材にしたアクセサリーや筆記用具なども見かけますし、一昔前は、結婚式の定番曲として「てんとう虫のサンバ」がありました。これが「ゴキブリのサンバ」という曲名だとしたらお祝いの席では受け入れられないことは確実です。それほどテントウムシは昆虫の中では、嫌悪感を抱かれにくいキャラクターなのでしょう。

 

 テントウムシは赤や黄色の色鮮やかな体色をもち、小さくて真ん丸な体です。そして、ゴキブリのようにすばやく動くことはほとんどなく、家の中に急に出現することもありません。このような見た目とおっとりとした特性に加えて、一部のテントウムシは農作物を荒らすアブラムシを大量に捕食してくれます。

 しかし、テントウムシと一口にいっても、その種類も様々でエサとなるものも大きく違います。そのエサとなるものは大きく分けて3つあり、アブラムシやカイガラムシなどを食べる肉食性の種類、うどんこ病菌などを食べる菌食性の種類、ナス科植物などを食べる草食性の種類がいます。肉食性の種が害虫のアブラムシなどを捕食するため世界中で重宝されてきたテントウムシです。そして、これらの種のテントウムシは、農薬代わりに使用される生物農薬の1つとして活用されています。

 小さく丸くかわいらしい姿をしたテントウムシですが、自分を捕食しようとする多くの敵から身を守る手段をもっています。

 私たちが水玉のようでかわいいと思っている赤や黒の斑点は、実は捕食動物に向けた警戒色です。そのため、鳥などはテントウムシをあまり捕食しません。また、幼虫・成虫とも敵に出会って突かれたりすると死んだふりをして難を逃れます。それでも、動物の口などに入れられてしまった時には、脚の関節から強い異臭と苦味がある有毒な黄色い液体を分泌し、口にした動物はすぐに吐き出してしまいます。

寄生バチに狙われるテントウムシ

 テントウムシは様々な防衛手段を持っていますが、寄生バチにはまんまとやられてしまうことがあります。テントウムシに寄生するのは、テントウハラボソコマユバチという寄生バチです。名前に「テントウ」と入っているのを見て、ピンとくるかもしれませんが、この寄生バチはテントウムシにしか寄生しません。体長わずか3ミリほどです。

 テントウハラボソコマユバチのメスは産卵できるようになると、まずテントウムシを探します。そして、テントウムシを見つけると、最初に麻酔を打ちこみ、その後、テントウムシの脇腹に卵を1つ産み付けていきます。

 卵から出てきたテントウハラボソコマユバチの幼虫はテントウムシの体に入り込みます。そして、テントウムシの体液を吸って大きく成長していきます。その間、寄生されたテントウムシの体は少しずつ蝕まれていきますが、外見や行動に変化はなく普段と同じように生活します。

 テントウムシの体内で体を食べに食べまくって約3週間後、テントウムシの半分以上の大きさになったハチの幼虫はテントウムシの外骨格の割れ目からゆっくりと這い出してきます。こんなにも大きなハチの幼虫に体内を食い荒らされていたテントウムシは、それでもなお30~40パーセントは生きています。その理由は、寄生バチの幼虫が、生死に直接影響しない脂肪などの組織を重点的に食べているからだと考えられています。

体中を食い荒らされてもなお寄生バチを守る

 テントウムシの体から出てきたテントウハラボソコマユバチの幼虫はテントウムシの腹の下にもぐるような形で繭を作り、その中で蛹になります。そうして、テントウムシは繭を抱くような形になります。

 そして、3割以上のテントウムシはこの時まだ生きています。命があるうちに、さっさと逃げたら良いのにと思いますが、寄生バチの幼虫が体内からいなくなった後も、逃げようとはせず繭を抱いています。

 ただじっと抱いて守っているだけではありません。自分の体の中身を食い荒らした寄生バチが蛹となって動けない間、蛹のボディーガードをします。蛹になった寄生バチは動けず外敵に狙われやすい状態です。クサカゲロウの幼虫などは、このハチの蛹が大好物です。しかし、瀕死のテントウムシは、蛹を狙った捕食動物が近付いてくると、脚をばたばた動かして追い払い、蛹を守ります。こうして、ハチが成虫になって飛び立っていくまでの約1週間、テントウムシは蛹を守り続けるのです。

寄生されたテントウムシの末路

 体内を巨大なハチの幼虫に食い荒らされ、そのうえ1週間も飲まず食わずで蛹のボディーガードをしていたテントウムシは、そろそろ死んでしまうのではないかと想像できます。しかし、信じられないことに寄生されたテントウムシの4分の1が最終的に元の生活に戻ります。そして、その奇跡の生還をしたテントウムシの一部は、再びテントウハラボソコマユバチに寄生される可能性もあるという皮肉な結果になるのです。

どうやってテントウムシを操るのか
 寄生されたテントウムシは寄生バチの幼虫が体から出てからもなお自分の意思とは関係なく寄生バチを守ろうとします。体内に寄生している状態であればマインドコントロールされてしまうのもわかりますが、体内に寄生バチがいなくなってからもマインドコントロールは続きます。

 なぜこのようなことが起こるのか、最近まで不明なままでした。しかし、2015年の論文で、その謎の一部がわかってきました。なんと、寄生バチは麻酔物質と一緒に脳に感染するウイルスをテントウムシに送り込んでいたのです。

 研究チームはハチに寄生されたテントウムシの脳はある未知のウイルスに侵され、脳内がそのウイルスでいっぱいになっていたことを発見しました。そして、寄生されていないテントウムシからはもちろんそのようなウイルスは見つかりません。研究チームはこの新規のウイルスをDCPV(Dinocampus coccinellae paralysis virus)と命名しました。

 テントウハラボソコマユバチはテントウムシに麻酔をして卵を産み付ける際に、同時にこのウイルスをテントウムシの体内に送り込んでいました。そして、ウイルスはテントウムシの体内で複製を繰り返して、その数を増やしていますが、この時点ではまだ脳まで広がっておらず無害な状態でいます。そして、寄生バチの幼虫がテントウムシの体内から出てくるとすぐに、ウイルスがテントウムシの脳内に入り込んで充満し、テントウムシの脳細胞は破壊されていきます。

 しかし、この脳細胞の破壊は、テントウムシ自身の免疫システムによるものだと考えられています。寄生したハチの幼虫がテントウムシの体内で生きている間は、テントウムシ側の免疫遺伝子が抑制されているのですが、ハチの幼虫がテントウムシの体内から這い出てくると、このテントウムシの免疫遺伝子は抑制を解かれ再活性化します。再活性化したテントウムシの免疫システムがウイルスに感染した自分の細胞を攻撃しているのです。

 そして、自己の免疫システムによって傷つけられた脳は、新規の寄生バチにまた寄生された場合、再び麻痺することがわかっています。

「Case 01 水中への憧れ――あるカマキリの物語」はこちら
「Case 02 宝石バチとの出会い――あるゴキブリの物語」はこちら
「Case 03 洗脳された僕――あるゴキブリのその後」はこちら

新潮社
2020年3月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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